メチャ買いたい.comがお届けする、おすすめの「魯山人」検索結果。

こちらの関連商品はいかがですか?

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 丹波一重口 石田陶春作 塗蓋付 尋牛斎書付(久田宗也宗匠)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

173,800

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 丹波一重口 石田陶春作 塗蓋付 尋牛斎書付(久田宗也宗匠)

サイズ約18.6×18×蓋含む高16.6cm 約蓋除く高14.6cm 作者石田陶春作 尋牛斎書付(久田宗也宗匠)[表千家・庵号 半床庵] 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】【石田陶春(本名 政子)】女性陶芸家 丹波焼き 相野窯 1944年昭和19年 兵庫県生 1965年昭和40年 各陶郷を巡学する、森本陶谷に師事する 1970年昭和45年 三田市相野に窯を築き独立する 1974年昭和49年 穴窯を築く、その後1984年大穴窯を築く 1978年昭和53年 東京日本橋三越本店で個展を開催、以後、定期的に開催 1992年平成04年 小登り窯を築く 1999年平成11年 大阪梅田阪急百貨店で個展を開催、以後、定期的に開催 2012年平成24年05月逝去 ------------------------------ 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全...

【茶器/茶道具 銘付茶杓】 二つ節 銘「老松」 尋牛斎書付(久田宗也宗匠) 下削り:黒田宗傳作 近江甲良の竹使用

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

165,000

【茶器/茶道具 銘付茶杓】 二つ節 銘「老松」 尋牛斎書付(久田宗也宗匠) 下削り:黒田宗傳作 近江甲良の竹使用

作者尋牛斎書付(久田宗也宗匠)[表千家・庵号 半床庵] 茶杓師:黒田宗伝作(竹器師)[下削り] 素材二つ節茶杓 近江甲良の竹 箱木箱 (棒山大)(・356400) 【コンビニ受取対応商品】老松おいまつ 年をへた松。おいまつ。古松。 長い年月を経たマツ。転じて、人物や組織の末永い繁栄を願う象徴。 下削りとは 室町時代の茶杓は「茶杓師」の手になるものがほとんどでしたが、利休以降は茶杓の作は「茶人」へと移り「茶杓師」の影は極めて薄くなり、やがて茶人の「下削り」を行うようになりました。 【初代 黒田宗傳】 10代 黒田正玄の次男 1896年明治29年分家 【2代 黒田宗伝】 初代の父:宗伝に師事し昭和03年秋襲名 ※ご大典の折、竹張色紙形茶箱皆具を天覧お買上げの栄に浴す 【3代 黒田宗傳( くろだそうでん )】竹器師 1931年昭和06年 京都生 師 父に師事、研鑽する 1962年昭和37年 3代宗傳を襲名 1967年昭和42年 建仁寺の竹田益州管長より竹軒の号を賜る ------------------------------ 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年〜1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年〜1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一...

【茶器/茶道具 香合】 亀甲 鶴蒔絵 立花大亀付 稲尾誠中斎作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

127,248

【茶器/茶道具 香合】 亀甲 鶴蒔絵 立花大亀付 稲尾誠中斎作

サイズ約横幅6.5×奥行6.5×高2.7cm 作者稲尾誠中斎作 立花大亀箱書付 箱木箱 (吉目り・173500) 【コンビニ受取対応商品】【3代 稲尾誠中斎】京都指物師 1946年昭和21年05月 京都生 1969年昭和44年 家業の京指物を継承、建仁寺管長より3代 誠中斎を拝受 また、広く茶道具を手がけ、大徳寺本山や大徳寺別院浮御堂、また平等院や永源寺本山生田神社等の古材道具の御用も賜わっている。又、各地で個展を開催中 -------------------------------------------------------- 【立花大亀 (たちばな だいき)】大徳寺 塔頭 如意庵 1489年明治32年 大阪府堺市生まれ〜2005年平成17年没 1921年大正10年 南宗寺で得度し、妙心寺専門道場で修行 (京都大徳寺塔頭(たっちゅう)の徳禅寺住職となる) 大徳寺511世 大徳寺別院 徳禅寺住職などを経て、大徳寺宗務総長に就任・大徳寺派管長代務者 1982年昭和57年〜1986年昭和61年まで花園大学学長 大徳寺最高顧問。大徳寺 塔頭 如意庵庵主を務める 2005年平成17年8月25日遷化 -------------------------------------------------------- 【如意庵】大徳寺 塔頭 如意庵、大用庵、松源院を一院とする 。松源院の下に龍泉庵、養徳院が出る。 1972年昭和47年 511世 大龜宗雄(だいきそうゆう)が再興。 大龜宗雄好み四畳半向切「玄庵(げんあん)」がある。 住所 京都市北区紫野大徳寺町106-2

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 平茶碗 赤膚焼き 灰釉 銘「朝霧」 尾西楽斎作 尋牛斎書付

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

173,800

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 平茶碗 赤膚焼き 灰釉 銘「朝霧」 尾西楽斎作 尋牛斎書付

サイズ約直径14.7×高6cm 作者(5代)尾西楽斎作 尋牛斎書付 箱木箱 (R2/輪礼吉酒・268000) 【コンビニ受取対応商品】【5代 尾西楽斎】香柏窯(赤膚焼香柏窯窯元) 1910年明治43年04月10日生 1951年昭和26年 昭和天皇関西行幸の際、御前実演天覧の栄光によくす 1982年昭和57年10月 アメリカ・カルフオルニア州博覧会デザイン最高賞、金メダル受賞 1984年昭和59年 奈良県大和茶献上茶壷謹製の栄光に善す 1990年平成02年 勲五等双光旭日章受章 奈良県美術協会理事 奈良県工芸協会理事 【7代 尾西楽斎】香柏窯(赤膚焼香柏窯窯元) 郡山藩主、柳澤侯より、木白の名の絶えざる様益々その業を磨くべく、御自ら「香柏窯」と命名せられし窯名と、「楽斎」の号を拝領致しました 1958年昭和33年 奈良県大和郡山市に生 1981年昭和56年 甲南大学卒業。在学中より祖父五代楽斎に師事 2005年平成17年 7代 楽斎襲名 春日大社より春日御土器師の称号を拝命 奈良県工芸協会副理事長。奈良県美術協会理事。赤膚焼香柏窯窯元 【8代 尾西楽斎】香柏窯(赤膚焼香柏窯窯元) 昭和38年 奈良県大和郡山市生まれ 早稲田大学卒 1963年平成04年 祖父五代楽斎に師事 1998年平成10年 初個展開催 近鉄百貨店奈良店 2001年平成13年 赤膚楽斎三代展開催 新宿京王・京都大丸・阿倍野近鉄本店 2017年平成29年 8代 楽斎を襲名 2018年平成30年 8代 尾西楽斎襲名記念 赤膚焼 8代 尾西楽斎展 ------------------------------ 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 ...

【茶器/茶道具 香合】 独楽香合 堀内宗完書付(堀之内宗完書付) 岩倉隆斎作 (隆弘峯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

169,840

【茶器/茶道具 香合】 独楽香合 堀内宗完書付(堀之内宗完書付) 岩倉隆斎作 (隆弘峯)

サイズ約直径8.5×高2.8cm 作者岩倉 隆作 堀内宗完書付 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】【岩倉隆弘斎(隆弘峯)】 1926年大正15年 石川県山中市生まれ 1950年昭和25年 隆弘峯を名乗る 1983年昭和58年 57歳 癸亥 京都市伝統産業祭に特別出品 1986年昭和61年 60歳 山中塗りの作家で還暦からは隆斎と改号 次代に山中塗・岩倉隆斎(隆弘斎)の跡継ぎに岩倉史幸がおられます。 ----------------------------- 堀内家の家祖は国学者と伝えられる堀内浄佐(1612〜1699)であり、茶の湯を山田宗偏に学んだと伝えられる。 (堀内家は江戸中期の堀内仙鶴を祖としています。) 【初代 堀内仙鶴 化笛斎】 浄佐の養子で、はじめ水間沾徳の門で俳諧を学び、のちに江戸を去り表千家6代覚々斎の門下に入った。 【2代 宗心 不寂斎】 【3代 宗啄】 【4代 宗心 方合斎】 高槻藩の出身であったため、以後高槻藩永井家の茶頭を務めた。 【5代 宗完 不識斎】 【6代 宗瑛 如是斎】 【7代 宗晋 至慎斎】 【8代 松翁宗完 不寂斎】 明治8年(1875年)にタワフル夕顔蒔絵の立礼卓を考案し、表千家に立礼式を受容した。(タワフル立礼棚) 【9代 宗完 的斎】 【11代 宗完 幽峯斎】 【12代 宗完 兼中斎】 京都帝国大学理学部の出身で独特の茶風で知られる 1919− 昭和後期-平成時代の茶道家【表千家流堀内家 12代 宗完(斎号(兼中斎)・隠居後(宗心))】 1919年大正08年1月20日生まれ(名は吉彦)堀内家の庵号(長生庵主) 兄の11代が急逝したため,表千家13代千宗左に師事 1953年昭和28年 宗完を襲名 1997年平成09年 宗完の名を兄の長男 分明斎にゆずり、宗心を名のる ...

【茶器/茶道具 花入 置用】 筒竹花入 銘「麻三斤」 和彦筆(久田宗也/尋牛斎) 黒田宗傳作 (置花入・置き花入・置き用)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

118,800

【茶器/茶道具 花入 置用】 筒竹花入 銘「麻三斤」 和彦筆(久田宗也/尋牛斎) 黒田宗傳作 (置花入・置き花入・置き用)

サイズ約直径8.3×高35.5cm 素材落とし:竹製 作者和彦筆(久田宗也/尋牛斎) 黒田宗傳作 仕様置用 箱木箱 (山輪山中・188000) 【コンビニ受取対応商品】 「閑座」字:福本積應筆・花入:宗秦作(り)麻三斤まさんぎんあささんきん 麻は植物の「あさ」のことで、ここでは衣料の材料になっている状態、麻布を想定していただければと思います。 斤は重さの単位です。 ある僧が洞山禅師に尋ねた。「仏とは何か」 洞山禅師は「麻三斤」と答えた。 つまり、生地一反が仏?ということになります。 すべてのものに仏性が宿るという解釈 【久田家】 久田家は3代宗旦の娘の嫁ぎ先で利休の血筋であり、家元が途絶えそうになった場合、久田家から養子で入っています。 久田家の庵号は半床庵(は んしょうあん)といい、3代宗全による二畳中板の茶室を指す。 【久田家歴代系図】 【初代 宗栄 生々斎】 1559年~1624年3月6日 俗名は久田新八房政 (利休の甥か?) 【2代 宗利 受得斎】 1610年~1685年11月7日 本間利兵衛 (千宗旦の娘クレの夫、藤村庸軒の兄) 【藤村庸軒】(宗旦の四天王の一人) 千家とつながりの深かった久田家初代の久田宗栄の次男で、呉服商十二屋の藤村家に養子に入ったとされる。 薮内紹智に茶の湯を学び、小堀政一(遠州)、金森重近(宗和)からも教えを受ける。のちに千宗旦のもとで台子伝授を許され宗旦四天王の一人に数えられた。 没後、荻野道興の編集により『庸軒詩集』が1803年(享和3年)に刊行された。 【3代 宗全 徳誉斎】 1647年~1707年5月6日 元は本間勘兵衛と称した (宗全は手工に秀で、炭斗の宗全籠等、茶碗・茶杓に優品物が多数あります。) 【4代 宗也 不及斎】 1681年~1744年1月13日 宗全の甥 ...

【茶器/茶道具 香合】 六角 寿の字 表千家而妙斎花押 中村宗哲工房

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

11,550

【茶器/茶道具 香合】 六角 寿の字 表千家而妙斎花押 中村宗哲工房

サイズ約縦7.5×横6.5×高2.9cm 作者中村宗哲工房 箱木箱 (り・16500) 【コンビニ受取対応商品】【初代 中村宗哲】(通称:八兵衛 号:公弼・方寸庵・塗翁・勇山・杯斎) 1617年元和03年~1695年元禄08年 藤村庸軒、灰屋紹益らと親交を結ぶ。 代表作に江岑好・独楽香合、庸軒好・凡鳥棗など 【2代 中村宗哲】(通称:八兵衛 号:汲斎) 1671年元和03年~1706年宝永03年 代表作に乱菊中棗など 【3代 中村宗哲】(通称:八兵衛 幼名:鍋千代 号:方寸庵・漆翁・漆桶・勇斎・公弼・紹朴・芹生) 1699年元禄12年~1776年安永05年 幼少で両親に死別したが、表千家6代・覚々斎、7代・如心斎らに引き立てられ、若年にして「七事式」制定に参加。俳人であり、与謝蕪村、几菫、堀内仙鶴らと親交を結ぶ。 代表作に覚々斎好・ブリブリ香合、少庵好・彭祖棗など 【4代 中村宗哲】(通称:為安・八郎兵衛 号:深斎) 1726年享保11年~1791年寛政03年 3代 婿養子。 1774年安永03年 従六位下主殿少属兼左生火官人に任じられる。 署名には「豊田八郎兵衛」を使用。後桜町天皇の大礼御用品の御用も司る 代表作に三斎好・野風茶器など 【5代 中村宗哲】(通称:守一・八兵衛 号:豹斎・漆畝) 1764年宝暦14年~1811年文化08年 4代 婿養子 1783年天明03年 従六位下主殿寮補左生火官兼式部大録に任じられ、御所御用達となる 1788年天明08年 「天明の大火」に遭い家を焼失するが、歴代の寸法帳などは持ち出しに成功 3代未亡人からの聞き書きにより、家伝を作成 俳人であり、三宅嘯山の弟子であった 代表作に認得斎好・蔦蒔絵中棗など 【6代 中村宗哲】(幼名:昌之助 通称:八兵衛・為一・八郎兵衛...

【茶器/茶道具 煙草盆用道具(莨盆用道具)】 火入 黄交趾 青海波 即中斎好み 真葛香斎作(宮川香斎作)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

198,000

【茶器/茶道具 煙草盆用道具(莨盆用道具)】 火入 黄交趾 青海波 即中斎好み 真葛香斎作(宮川香斎作)

サイズ約直径11.5×高11cm 作者真葛香斎作(宮川香斎作) 箱木箱 (28期の野・261500) 【コンビニ受取対応商品】火入(ひいれ)とは 煙草盆の中に組み込み、煙草につける火種を入れておく器のことです。 中に灰を入れ、熾した切炭を中央に埋めて、喫煙の際の火種とします。 切炭の埋め方は、火入の灰にあらかじめ炭火を入れて灰を温めてから、炭火を取り出して火箸で灰をならし、その中央に、客が煙草をつかうときに上部が燃えて灰とならないように、切炭を黒い部分を残して熾し、熾きた方を下に黒いほうを上にしてして、煙管で吸い付けやすいよう正面から見てやや斜めに頭が少し出るように埋め、灰押で灰を押さえ、火箸で筋を入れます。 切炭は、表千家と武者小路千家では右に、裏千家は左に傾けます。 灰形は放射状に筋を入れたものが多く用いられますが、流儀、火入により異なるものもあります。 香炉の小振りな物や向付を見立てで使用したのが始まりのようで、煙草盆と火入の組合せは、材質、形状、煙草盆との大きさ、煙草盆の縁の高さと火入の高さ、火入の釉色と煙草盆の塗色などが考慮されます。 銅器や鉄器はふつう用いられず、陶磁器が主に用いられますが、染付・呉須などの磁器には真塗や溜塗など、志野・織部・唐津などの施釉陶には一閑張など、備前・信楽など自然釉陶には木地・焼杉などを合わせます。 【真葛焼き】 【宮川香山(本名 虎之助)】 1842年天保13年 宮川香山は京都府真葛原に生まれる 1916年大正05年75才没 明治時代の日本を代表する陶芸家・陶工です 高浮彫、真葛焼きの創始者。 1866年天保13年 幕府から御所献納の品を依頼される名工に 1870年明治03年 薩摩の御用商人梅田半之助、実業家鈴木保兵衛らに招聘される 1871年明治04年...

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 青井戸写し 銘「彭祖(ほうそ)」 而妙斎宗匠書付 4代 眞清水蔵六作 梅花皮(かいらぎ)あり

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

363,000

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 青井戸写し 銘「彭祖(ほうそ)」 而妙斎宗匠書付 4代 眞清水蔵六作 梅花皮(かいらぎ)あり

重量約355g サイズ約幅15.5×奥14.2×高8cm 作者4代 眞清水蔵六作 而妙斉箱書付筆 箱木箱 (野申大・500000) 【コンビニ受取対応商品】彭祖(ほうそ)とは 長寿を寿ぐ言葉(700年も生きたとされる、古代伝説上の長寿の人。) 帝尭の臣下とする説もある。 青井戸茶碗とは 高麗茶碗の一種で、高麗茶碗の中で最も珍重されたもので、大井戸、小井戸(古井戸)、青井戸、井戸脇などの種類に分類されます。 李朝初期の16世紀以来朝鮮で、日用雑器として作られたものが、室町末頃から日本に渡り、千利休の高弟の山上宗二の『山上宗二記』に「井戸茶碗 是れ天下一の高麗茶碗 山上宗二見出して、名物二十、関白様に在り」とあるように、見い出されて、抹茶碗に見立てられたものです。 素地は鉄分の多い赤褐色の土で、形は見込が深い碗形で、やや厚手で、高台は大きく高く、手取りはざんぐりとしています。 梅花皮(かいらぎ)とは 堅い粒状の突起のある魚皮。蝶鮫(ちようざめ)の皮といわれるが、アカエイに似た魚の背の皮のように釉(うわぐすり)がちぢれている状態 【初代 眞清水蔵六】(1877年明治10年 56才没) 京都山城に生まれた清水太三郎が後、京都に出る 1843年天保14年 京都五条坂に開窯して眞清水蔵六と改名する 1868年明治初年 政府の奨励をうけて外国の博覧会に出品して名をあげ、国内向けには茶器、外国向けには色絵・金襴手の大作を発表、製作する 青磁・染付などを製作 千宗室が孝明天皇への献茶の折「宗岳」の名を賜られた 印は「宗岳」「百寿」「蔵六」等 【2代 蔵六】(1861-1936 76才没) 1882年明治15年 2代を襲名 1884年明治17年 京都博覧会にて一等金賞を受賞する 1912年大正元年 沢中庵と号する 1917年大正06年...

【茶器/茶道具 香合】 琉球青貝香合 宗旦好写し 中村宗悦作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

69,410

【茶器/茶道具 香合】 琉球青貝香合 宗旦好写し 中村宗悦作

サイズ約直径6.7×高2.4cm 作者中村宗悦作 箱木箱 (野目ウ・限定山吉大・89545) 【コンビニ受取対応商品】琉球青貝香合…唐草紋の青貝を張り付けた一文字形香合 琉球青貝香合…唐草紋の青貝を張り付けた一文字形香合で琉球帝王から宗旦に送られたもの ・・・・・ 参考資料 ・・・・・ 【道具の見どころ】「参考:保育社発行:茶道入門・茶道用語」・・・・・ 香合は、室町時代の書院台子の茶事の時代は、香炉に重きが置かれ、利休の時代になって、炭点前が茶事に置いて、必ず行われるようになりました。 次第に香合の地位があがったと言えます。 風炉用の塗物と炉用の陶磁器とに大別されますが,兼用の貝などもあります。 小型は炭点前に,大型のものは床飾りにも用いられます。 現在は風炉用として塗物・蒔絵・瓢フクベ・貝などの香合が、炉用として陶磁器が用いられています。貝の香合などは炉・風炉共に用いられることもありますが、練香を、用いる場合は香合を汚さないように椿の葉を敷いて入れる習わしです。 炭点前がすんだことを表したり省略する意味から、香合を床に飾ることが今日では広く行われるようになった。 勿論香合にも濃茶席に相応しいものと、薄茶席用のみのものなどがあり、その区別は個々について十分考慮する必要があります。 江戸時代末期に至り、巷間に用いられていた香合について当時の茶人等はこれを整理、評価を加えて優劣の判定を下し、その格付を行ったのが、安政2年(1855)刊の「形物香合相撲番付表」です。 床飾り 大寄せの茶会では諸飾りをする。 お軸を中心に下座に花を上座に香合を紙釜敷に載せ飾る。 香合は炭点前を省かせていただきましたとの意味。 籠花入は風炉の時期は薄板は用いない、花入、薄板ともに真・行・草の三種あり、飾り方も異なる。 また、お軸が縦物か横物で...

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 信楽焼き 耳付 共蓋 高橋楽斎窯

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

43,780

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 信楽焼き 耳付 共蓋 高橋楽斎窯

サイズ約直径17×高17.7cm 約耳含幅19.7cm 作者高橋楽斎窯 箱木箱 (ス吉中・55000) 【コンビニ受取対応商品】【初代 楽斎(本名 高橋藤左衛門)】 天保年間 信楽神山にて茶陶の名人と謳われる 【3代 楽斎(本名 光之助)】 1898年明治31~1975年昭和51年 没 信楽焼技術保存者 県無形文化財 1915年大正04 京都陶磁器研修所に学 1916年大正05 信楽で作陶に従事す 1917年大正06 3代高橋楽斎を襲名 1941年昭和16 商工省より信楽焼技術保存者の資格認定を受ける 1960年昭和35 ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞し、デンマーク日本陶芸十傑展に選ばれて出品しました 1964年昭和39 滋賀県指定無形文化財に認定 1971年昭和46 労働大臣より最優秀技能者の表彰を受ける 【4代 高橋楽斎(本名 光夫)】信楽焼き 現住所 滋賀県甲賀郡信楽町長野二本丸 1925年大正14年11月8日生 父 3代 楽斎に師事 1976年昭和51年 4代 楽斎襲名 1976年昭和51年 伝統工芸士に指定される。 1991年平成03年 日本文化振興会より国際芸術文化賞を受賞す 南カリフォルニア大学にて陶芸指導 現住所 滋賀県甲賀郡信楽町長野二本丸 【5代 高橋楽斎(本名 光三)】 1954年昭和29年 信楽に生 1974年昭和49年 京都府立陶工専修訓練校と滋賀県立窯業試験場経て、父四代楽斎に師事し作陶を学ぶ 1975年昭和50年 荒川豊蔵先生のもとに互窯会結成 大阪高島屋にて互窯会展出展 1984年昭和59年 大阪高島屋にて個展を以後10回 各地で個展多数行う 2010年平成22年9月 日本橋三越本・にて五代楽斎を襲名 同時に数江瓢鮎子先生、加藤淡斎先生に指導を受ける ...

【茶器/茶道具 香合 花まつり(花祭り)】 白象 今岡三四郎作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

19,360

【茶器/茶道具 香合 花まつり(花祭り)】 白象 今岡三四郎作

サイズ約幅7×奥3.4×高4.9cm 作者今岡三四郎作 箱木箱 (・N56005ス野中・24450) 【コンビニ受取対応商品】花まつりとは お釈迦様の誕生を祝う仏教の行事の一つ。 旧暦の4月8日や月遅れの5月8日に開催するお寺もあります。 もともとは「灌仏会(かんぶつえ)」という名称で、別名「仏生会(ぶっしょうえ)」「降誕会(ごうたんえ)」などとも呼ばれる仏教行事です。 仏教の創始者であるお釈迦様は、旧暦の4月8日にインドのルンビニ(現在のネパール)という場所で生まれたとされ、仏教でお釈迦様の誕生を祝うのが花まつりです。 白い象が登場しますが、これはお釈迦様の生母である摩耶夫人(まやふじん・マーヤー)が六本の牙を持つ白い象が体内に入る夢を見て、お釈迦様をお身ごもったことが由来となっています。 また、お釈迦様の像に甘茶をかけますが、これは、お釈迦様が生まれたとき、に9頭の龍が現れ、甘い水(香湯ソーマ・アムリタ)を吐き、その水をお釈迦様の産湯(うぶゆ・生まれて初めて浸かるお湯)に使ったという伝説が由来になっています。 江戸時代までは5種類の香水(五色水)をかけていたそうですが、江戸時代以降は甘茶をかけるようになりました。 赤ちゃんの健康を願うお祭りでもあり、甘茶で赤ちゃんの頭をこすると元気で丈夫な子供に育つといわれています。

スポンサーリンク
スポンサーリンク