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唐津焼きの商品検索結果全11件中1~11件目

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 唐津焼き 彫三島 中里重利作(三玄窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

198,000

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 唐津焼き 彫三島 中里重利作(三玄窯)

サイズ約直径14.5×高5.5cm 作者中里重利作(三玄窯) 箱木箱 彫三島(限定R4/丸棒大・330000) 【コンビニ受取対応商品】【中里重利】三玄窯 1930年昭和05年 中里重利(先代中里無庵の三男)に生 1952年昭和27年 日展初入選 1956年昭和31年 朝日新聞社主催第5回現代日本陶芸展にて松阪屋賞受賞 第5回現代日本陶芸展より第11回現代日本陶芸展まで7回入賞 1964年昭和39年 オリンピック協賛第7回日展に「壺」入選、外務省お買上げとなり、在外公館に陳列 1965年昭和40年 第8回日展にて「三玄」壺特選北斗賞受賞 1965年昭和41年 第9回日展無鑑査となり「灰釉壺」出品、外務省お買上げとなり、在外公館に陳列 1967年昭和42年 第10回日展より、委嘱出品となり、花器を出品 1968年昭和43年 第7回日本現代工芸美術展に「炎」を出品 1969年昭和44年 第8回日本現代工芸美術展無鑑査となる・現代工芸美術家協会会員 1971年昭和46年 第10回日本現代工芸美術展審査員 1973年昭和48年 古唐津技法研究のため唐津市神田山口に築窯 1975年昭和50年 第14回日本現代工芸美術展にて会員賞並びに文部大臣賞受賞 1976年昭和51年 日展審査員となる 1982年昭和57年 日展審査員となる 1983年昭和60年 佐賀県芸術文化功労賞受賞 1984年昭和61年 日展審査員となる

【花器/茶道具 花入 置用】 朝鮮唐津焼き 耳付花入 徳沢守俊作(須惠窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

169,400

【花器/茶道具 花入 置用】 朝鮮唐津焼き 耳付花入 徳沢守俊作(須惠窯)

サイズ約最大縦11×横11.5高20.6cm 約口部分縦9.9×横10.4×高20.6cm 約耳含む幅14.2cm 作者徳沢守俊作(須惠窯) 箱木箱 (野山江・242000) 【コンビニ受取対応商品】【徳沢守俊】須惠窯 1943年昭和18年 京都生まれ 福岡 黒田藩窯として隆盛した須恵窯(すえがま)を、昭和の時代に復興した須恵窯の作家 1967年昭和42年 玉川大学農学部卒 師 12代 中里無庵(人間国宝)、13代 中里太郎右衛門に師事 金重素山(県無形文化財)(1909〜1995)、 人間国宝 金重陶陽の弟に茶陶を学び、さらに父成信(不洞庵)に茶陶を学ぶ 1972年昭和47年 福岡県須恵町皿山に割竹式登窯築窯、独立 日本工芸会正会員 窯名 須恵窯 陶器(焼物)の花入 陶器の花入には渡り物と国焼があります。 やきもの花入いろいろ 焼物の花入は種類が多く、青磁・染付・彩磁などがあります。中国から渡来した青磁は真の花入とされます。染付・赤絵はこれに次ぐものとされます。 国焼は瀬戸・高取・伊賀・信楽・備前・丹波・萩・唐津・楽などの京焼があります。 釉がかかり形の格調高い物は行の花入に扱います。 釉がかかってない土物は、草の花入とされます。 木地の薄板は水で濡らしよく拭ききって使用します。 備前・伊賀・信楽など釉のかかってない花入は事前によく水に濡らし、よく拭いて使用します。 花入の説明(敷板の説明) 薄板(三枚組花台)花入の下に敷く板を薄板といいます。 真塗矢筈板 かねの花入に使用・青磁等格調高い物を使用 塗り蛤端 釉のかかった焼物の花入れに使用 木地(杉)の蛤端 竹や釉のかからない焼物の花入に使用 丸香台 竹や釉のかからない焼物の花入に使用 掛物が一行物の時は床の下座(床柱のある方)に置くのが多い。...

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 平水指 絵唐津焼き 魚絵 内草花 蓋真塗り(1枚蓋) 13代 中里太郎右衛門作 (やや大振り)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

255,200

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 平水指 絵唐津焼き 魚絵 内草花 蓋真塗り(1枚蓋) 13代 中里太郎右衛門作 (やや大振り)

サイズ約直径32×本体高10.5cm 素材蓋真塗り(一枚の木で作られた蓋) 作者13代 中里太郎右衛門作 箱木箱 (限定R4/ス棒目大・389000)【中里太郎右衛】 12代 中里太郎右衛門-長男 13代 中里太郎右衛-長男 14代 中里太郎右衛 -次男 中里重利-長男 嘉孝 -5男 隆-長男 太亀 【12代 中里太郎右衛門 本名:重雄(号:無庵)】1895年(明治28)~1985年(昭和60) 11代 中里太郎右衛門の次男として佐賀県に生まれる 1914年大正03年 佐賀県立有田工業学校別科を修了 1927年昭和02年 12代中里太郎右衛門を襲名する 1929年昭和04年 古唐津古窯跡の発掘調査を行い、成形や焼成技法の研究を重ねました 1941年昭和16年 商工省より技術保存作家に指定される 1955年昭和30年 文化財保護委員会より無形文化財に認定 1957年昭和32年 日本工芸会九州支部支部長代理に就任しました 【13代 中里太郎右衛門(本名 忠夫)】 1923年大正12年 佐賀県唐津に生 1943年昭和18年 東京高等工芸学校(現:千葉大学工学部、工芸図案科卒業) 1951年昭和26年 陶彫「牛」により、日展初入選 1965年昭和40年 現代工芸美術家協会視察団として欧州、中近東視察 1967年昭和42年 日展会員となる 1969年昭和44年 13代中里太郎右衛門を襲名 1981年昭和56年「叩き唐津三島手付壺」により、内閣総理大臣賞受賞 1984年昭和59年「叩き唐津三島手付瓶」により、日本芸術院賞受賞 1985年昭和60年 日展理事に就任 1992年平成04年 佐賀県重要無形文化財認定 1995年平成07年 唐津市政功労賞受賞、同年紺綬褒章受章 1997年平成09年...

【茶器/茶道具 花入 置用】 信楽焼き 高橋介炎作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

36,960

【茶器/茶道具 花入 置用】 信楽焼き 高橋介炎作

サイズ約胴直径12.6×高23cm 約天傘部分直径約15.6cm 作者高橋介炎作(かいえん) 箱木箱 (R4/ス棒・中・46200) 【コンビニ受取対応商品】【高橋介炎】信楽焼作家 三重の伊賀町に介炎窯を開窯 師 奥田忠左衛門・師 杉本貞光のもとで修業し独立 陶器(焼物)の花入 陶器の花入には渡り物と国焼があります。 やきもの花入いろいろ 焼物の花入は種類が多く、青磁・染付・彩磁などがあります。中国から渡来した青磁は真の花入とされます。染付・赤絵はこれに次ぐものとされます。 国焼は瀬戸・高取・伊賀・信楽・備前・丹波・萩・唐津・楽などの京焼があります。 釉がかかり形の格調高い物は行の花入に扱います。 釉がかかってない土物は、草の花入とされます。 木地の薄板は水で濡らしよく拭ききって使用します。 備前・伊賀・信楽など釉のかかってない花入は事前によく水に濡らし、よく拭いて使用します。 花入の説明(敷板の説明) 薄板(三枚組花台)花入の下に敷く板を薄板といいます。 真塗矢筈板 かねの花入に使用・青磁等格調高い物を使用 塗り蛤端 釉のかかった焼物の花入れに使用 木地(杉)の蛤端 竹や釉のかからない焼物の花入に使用 丸香台 竹や釉のかからない焼物の花入に使用 掛物が一行物の時は床の下座(床柱のある方)に置くのが多い。 掛物が横軸の時は花入を中央に置くのが多い。 その他 板床や畳の床に置く籠花入には薄板は使用しません。 木地の薄板は水で濡らし拭ききって使用します。 関連商品

【茶器/茶道具 花入 置用】 信楽焼き 銘「寿山」 高橋春斎作 久田宗也筆(尋牛斎) (置き花入れ・置花入れ・置き用・置用)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

138,600

【茶器/茶道具 花入 置用】 信楽焼き 銘「寿山」 高橋春斎作 久田宗也筆(尋牛斎) (置き花入れ・置花入れ・置き用・置用)

サイズ約直径13.4×高25.4cm 作者高橋春斎作久田宗匠付(尋牛斎) 箱木箱 (ス丸中・194400) 【コンビニ受取対応商品】【高橋春斎 (本名:昭二)】 日本工芸会正会員 1927年昭和02年 滋賀県で3代楽斎の次男に生まれる 1949年昭和24年 京都陶器職業訓練所で学ぶ 1951年昭和26年 師は父 3代 高橋楽斎に師事 1968年昭和43年 独立して春斎窯を築く 1995年平成07年 滋賀県指定無形文化財技術保持者に認定される 1999年平成11年 滋賀県文化賞を受賞する 2011年平成23年4月17日逝去 兄は4代楽斎を継承 陶器(焼物)の花入 陶器の花入には渡り物と国焼があります。 やきもの花入いろいろ 焼物の花入は種類が多く、青磁・染付・彩磁などがあります。中国から渡来した青磁は真の花入とされます。染付・赤絵はこれに次ぐものとされます。 国焼は瀬戸・高取・伊賀・信楽・備前・丹波・萩・唐津・楽などの京焼があります。 釉がかかり形の格調高い物は行の花入に扱います。 釉がかかってない土物は、草の花入とされます。 木地の薄板は水で濡らしよく拭ききって使用します。 備前・伊賀・信楽など釉のかかってない花入は事前によく水に濡らし、よく拭いて使用します。 花入の説明(敷板の説明) 薄板(三枚組花台)花入の下に敷く板を薄板といいます。 真塗矢筈板 かねの花入に使用・青磁等格調高い物を使用 塗り蛤端 釉のかかった焼物の花入れに使用 木地(杉)の蛤端 竹や釉のかからない焼物の花入に使用 丸香台 竹や釉のかからない焼物の花入に使用 掛物が一行物の時は床の下座(床柱のある方)に置くのが多い。 掛物が横軸の時は花入を中央に置くのが多い。 その他 板床や畳の床に置く籠花入には薄板は使用しません。...

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【茶器/茶道具 菓子器】 菓子鉢 模乾山大根 佐久間勝山作(松古窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

33,330

【茶器/茶道具 菓子器】 菓子鉢 模乾山大根 佐久間勝山作(松古窯)

サイズ約直径21×高.8.7cm 作者佐久間勝山作(松古窯) 箱木箱 (限定R4/野吉丸大・59800) 【コンビニ受取対応商品】松阪萬古 1716年享保元年 ~1804年文化元年 和泥斎寸丈(植松庸知(やすとも))寸丈焼(時中焼)開窯 裏千家 8代 一燈が松阪の陶工・二代和泥斎時中丈七を伴い徳島を訪れ、阿波焼を興す 一燈、阿波焼で阿波筒花入を御好みになる 1855年安政02年 竹川竹斎(玄々斎門下)射和萬古開窯 1863年文久03年 射和萬古閉窯 【初代 信春】 1856年安政03年 百々川焼開窯 1863年文久03年 下村焼(四ツ又焼)開窯 【2代 芳春】 1878年明治11年 錦花山焼開窯 徳和焼と改称(長谷川可同命名:又妙斎・円能斎門下) 【3代 芳隣】 1914年大正03年 松阪萬古と改称(昭和10年小津笹川庵命名) 淡々斎宗匠より御好窯として「松古」の印を賜り「松古窯」と命名される 1916年大正05年04月 玄句斎格式披露茶会三重県津市で開催 【4代 佐久間勝山】 1906年明治39年 三重県松阪市生まれ 1947年昭和22年 即中斎宗匠の御用を承る 1966年昭和41年 東京日本橋三越にて個展開催 1971年昭和46年 帝国ホテル特別サロンにて個展 1987年昭和62年 京都高島屋にて傘寿記念茶陶展開催 1998年平成10年 逝去 【5代 佐久間芳山】 勝山の息子 1998年平成10年 芳山 5代目を継承 古萬古の赤絵・盛絵技法を研究 2006年平成18年 喜寿記念展示会開催

【茶器/茶道具 菓子器】 干菓子器 角切 青海盆 川瀬表完工房

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

20,680

【茶器/茶道具 菓子器】 干菓子器 角切 青海盆 川瀬表完工房

サイズ約21.1×21.1×高1.5cm 作者川瀬表完工房 箱化粧箱 (野0丸江・25380) 【コンビニ受取対応商品】【初代 表完(本名 敏太郎)】 京都の塗師 1904年明治37年~1969年昭和44年 江戸末期、木村表斎を祖師とする京塗りの「表派」の技法を祖父 千太郎より継承する。 表派の技法を伝承する初代 鈴木表朔(2代 表斎)に師事し、本堅地・溜塗・布摺・木地溜塗など正統な塗技法を受け継ぎ、初代 表完を名乗る。 初代没後、長男 厚(1933~2007)と次男 功(1937~)が共に表完を襲名し、表完工房を設ける。 【2代 川瀬表完(本名 功)】 祖父 千太郎、父 敏太郎(初代 表完)より継承し京塗師2代表完そして京漆器の制作に従事。 1937年昭和12年生まれ 京漆器伝統工芸士 京都府優秀技術者(京の名工) 【3代 川瀬表完(本名 川瀬 厚)】雅号 2代 東山表完 1933年昭和08年 初代表完の長男として京都に生まれる 1993年平成05年 伊勢神宮式年御遷宮に際し御神宝復元従事通産省 京都府「京の名工」 厚生労働大臣 「現代の名工」受彰日本伝統工芸士会幹事歴任 京都伝統工芸大学校京塗教授 日展会友 1995年平成07年 他界 伝統の京塗技法を継承しながらも、新素材などを用いた新しい漆芸の制作に着手するなど 現代に合わせた独創的な活動をする 【当代 川瀬表完(本名 川瀬 正)】雅号 3代 東山表完 1964年昭和39年 アメリカ サンフランシスコ生 京都育ち 1980年昭和55年 夜間高校に通学しながら父二代東山表完(厚)に師事 1981年昭和56年 京都市工業試験場 漆塗りか卒(主任講師 京塗師山根正春先生) 1985年昭和60年 京都市工業試験場 マキエか卒(主任講師 漆芸家水内恭平先生)...

【茶器/茶道具 菓子器】 喰籠 古代黄交趾 松皮菱 老松 中村翠嵐作 (喰篭・喰ろう・じきろう)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

261,800

【茶器/茶道具 菓子器】 喰籠 古代黄交趾 松皮菱 老松 中村翠嵐作 (喰篭・喰ろう・じきろう)

サイズ蓋約奥20.1×幅24.×取手含高11.5cm 内:約奥18.5×幅22.2cm×高7.1cm 作者中村翠嵐作 箱木箱 (ス棒サウ・367500) 【コンビニ受取対応商品】喰籠とは 主菓子を客の数だけ盛り込んで出すための蓋付きの器です。 「食篭」とも「喰籠」とも書きます。 黒文字箸を一膳添えます。 おおくは円形または角形で、重ね式のものもあります。 元来食物をいれる蓋付きの身の深い容器のことをいい、『君台観左右帳記』や『御飾記』にも座敷飾として違棚に「食篭」が置かれているように、書院の棚飾りに用いられましたが、茶人に好まれたことにより、茶席でおもに主菓子を盛り込む菓子器として用いられ、様々な形が現れ、素材も最初は、漆器でしたが、陶磁器も用いられるようになります。 【2代 中村翠嵐】 1942年昭和17年 京都生まれ 1961年昭和36年 京都市立日吉ケ丘高校美術課程陶芸家卒業 陶磁器上絵付業を営む家に生まれ、父初代翠嵐に師事 1974年昭和49年 2代 翠嵐を襲名 1984年昭和59年 第06回京都・清水焼展グランプリ受賞 第09回全国伝統的工芸展NHK会長賞受賞 1987年昭和62年 京都・清水焼伝統工芸士に認定 1993年平成05年 125年ぶりの海外展「現代の京焼・清水焼パリ展」に出品、同展実行委員長を務める 2003年平成15年 京の名工 京都府伝統産業優秀技術者賞 2010年平成22年 現代の名工(卓越した技能者) 厚生労働大臣賞を授かる 以後多数の個展・展示会を開催し活躍中 次代の娘も作陶中

【茶器/茶道具 菓子器】 銘々皿 梅花 金砂子 橋村萬象作(木具師) 木曾檜材 5枚セット

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

37,664

【茶器/茶道具 菓子器】 銘々皿 梅花 金砂子 橋村萬象作(木具師) 木曾檜材 5枚セット

入数5枚セット サイズ約直径13.5×高1.5cm 素材木曾檜材 作者3代目 橋村萬象作(木具師) 箱紙箱 (R4/野吉ウ・47080) 【コンビニ受取対応商品】橋村家は平安遷都の時、奈良より皇室の共をして京都に移住。 以後、橋村又左衛門の名で名字帯刀を許され、御所禁裏御用の「有職御木具師」として幕末まで皇室の御用を賜る。 東京遷都以後、「茶器木具師」として茶道具を作り始める。 主に秋田杉・吉野杉・尾州檜による曲物を製作して、茶器木具師となり三代目の又左衛門が大徳寺管長より、萬象の名を拝受する。 平安遷都以後、「有職御木具師」橋村又左衛門をなのる 江戸幕末「茶器木具師」初代 又左衛門 【2代 又左衛門】 【3代 又左衛門】後の初代 萬象 大徳寺管長より「一刀萬象」(一の刀より萬の象を作る)の名を拝受し、萬象を名のる 【2代 清岳萬象】 現在は3代 萬象を継承 【3代 橋村萬象(本名 誠人)】 1959年昭和34年 京都で2代目の長男として生れ 初代(祖父)に師事〜又、日本画家 山本紅雲に師事 曲げ物製作に加え、胡粉による置上や色絵付を手掛ける 2008年平成20年2月 3代目を継承 5月襲名記念を京都高島屋店にて開催

【茶器/茶道具 香合 ひな祭り】 赤膚焼き 桃 大塩昭山作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

10,015

【茶器/茶道具 香合 ひな祭り】 赤膚焼き 桃 大塩昭山作

サイズ約直径5.8×高5.2cm 作者大塩昭山作 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】【4代 大塩昭山】赤膚焼 1960年昭和35年 赤膚焼窯元三代目大塩昭山の長男として生 1983年昭和58年 グループATMS展(大阪 アートサロン宮崎) 1984年昭和59年 大阪芸術大学工芸科陶芸専攻卒 1985年昭和60年 京都府立陶工高等技術専門校陶磁器科(成形)卒 1989年平成元年 奈良県工芸青年作家展(奈良商工観光館) 1991年平成03年 大塩昭山窯親子三人展 1995年平成07年 4代を襲名 1996年平成08年 4代目大塩昭山襲名展(新宿三越) 欧州芸術文化遺産認定 収蔵(仏パリ) 【大塩恵旦】赤膚焼 奈良県工芸協会に所属 1963年昭和38年 赤膚焼窯元三代目 大塩昭山の次男として誕生 1981年昭和56年 私立奈良育英高校卒 1982年昭和57年 京都府立陶磁器職業訓練学校卒 赤膚焼窯元 大塩昭山において家業の手伝いを始める 1983年昭和58年 奈良県工業協会青年部に所属す 1994年平成06年 赤膚焼窯元 3代目 大塩昭山死去し、赤膚焼 大塩恵旦として独立 【8代 大塩正人(おおしお まさんど)(本名 正義[まさよし]) 1933年昭和08年 赤膚焼7代大塩正人を父として奈良に生 1964年昭和39年 朝日陶芸展入選・日展初入選〜以後毎年連続入選 1992年平成04年 日展文部大臣賞受賞 1994年平成06年 東京銀座・日動画廊にて個展 1995年平成07年 日本芸術院賞受賞 現在 日展理事 日本工芸美術展常務理事 奈良県美術家協会会員

【茶器/茶道具 菓子器】 銘々皿 輪島塗り 四方 沈金 松 木製 3枚セット

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

33,000

【茶器/茶道具 菓子器】 銘々皿 輪島塗り 四方 沈金 松 木製 3枚セット

入数3枚セット サイズ約12.4×12.4×高1cm 箱紙箱 素材木製 輪島塗り 限定(吉丸酒)(・35650) 【コンビニ受取対応商品】 参考資料:石川新情報書府より 【輪島塗とは】 伝統的工芸品に指定された際の通商産業省(当時)による輪島塗の要件は次のとおり(昭和50年5月10日通商産業省告示第172号) 【伝統的な技術または技法】 下地塗りは、次の技術または技法によること 1.木地に生漆を塗付した後「着せもの漆」を塗付した麻または寒冷紗を用いて「布着せ」をすること。 2.生漆に米のり及び「輪島地の粉」を混ぜ合わせたものを塗付しては研ぎをすることを繰り返すこと。 3.上塗りは、精製漆を用いて「花塗」または「ろいろ塗」をすること。 4.加飾をする場合は、沈金または蒔絵によること。 5.木地造りは、次のいずれかによること。 1.挽き物にあっては、ろくろ台及びろくろかんなを用いて形成すること。 2.板物または曲げ物にあっては、「こくそ漆」を用いて成形すること。 【伝統的に使用されてきた原材料】 1.漆は天然漆とすること。 2.木地は、ヒバ ケヤキ カツラ もしくはホオノキ、またはこれらと同等の材質を有する用材とすること 現在のような輪島塗の技術が確立したのは江戸時代寛文年間と伝えられている。この時期にはすでに海運の利を生かして販路を拡大し、また陸路での行商もおこなわれており、堅牢さが評判の輪島塗は日本各地で使われていた。※沈金の始まりも江戸時代享保期、蒔絵は江戸時代文政期にはいってからである。 【関係年表 [編集]】 元和2年 1616年 加賀藩は、能登に七木保護の制を布告。自由な伐採を禁じた。 寛永年間1624年—1643年 加賀藩は、漆の木の植林を奨励。 享保年間1716年—1735年...

【茶器/茶道具 菓子器】 銘々皿 輪島塗り 長方 木製 5枚セット

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

33,000

【茶器/茶道具 菓子器】 銘々皿 輪島塗り 長方 木製 5枚セット

入数5枚セット サイズ約幅14.3×奥11.2×高1.5cm 箱紙箱 素材木製 輪島塗り (ス野酒)(・38880) 【コンビニ受取対応商品】 参考資料:石川新情報書府より 【輪島塗とは】 伝統的工芸品に指定された際の通商産業省(当時)による輪島塗の要件は次のとおり(昭和50年5月10日通商産業省告示第172号) 【伝統的な技術または技法】 下地塗りは、次の技術または技法によること 1.木地に生漆を塗付した後「着せもの漆」を塗付した麻または寒冷紗を用いて「布着せ」をすること。 2.生漆に米のり及び「輪島地の粉」を混ぜ合わせたものを塗付しては研ぎをすることを繰り返すこと。 3.上塗りは、精製漆を用いて「花塗」または「ろいろ塗」をすること。 4.加飾をする場合は、沈金または蒔絵によること。 5.木地造りは、次のいずれかによること。 1.挽き物にあっては、ろくろ台及びろくろかんなを用いて形成すること。 2.板物または曲げ物にあっては、「こくそ漆」を用いて成形すること。 【伝統的に使用されてきた原材料】 1.漆は天然漆とすること。 2.木地は、ヒバ ケヤキ カツラ もしくはホオノキ、またはこれらと同等の材質を有する用材とすること 現在のような輪島塗の技術が確立したのは江戸時代寛文年間と伝えられている。この時期にはすでに海運の利を生かして販路を拡大し、また陸路での行商もおこなわれており、堅牢さが評判の輪島塗は日本各地で使われていた。※沈金の始まりも江戸時代享保期、蒔絵は江戸時代文政期にはいってからである。 【関係年表 [編集]】 元和2年 1616年 加賀藩は、能登に七木保護の制を布告。自由な伐採を禁じた。 寛永年間1624年—1643年 加賀藩は、漆の木の植林を奨励。 享保年間1716年—1735年...

【中古】【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 織部釉 三浦竹軒作 織部焼き

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

65,780

【中古】【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 織部釉 三浦竹軒作 織部焼き

サイズ約直径12.4×高8cm 作者三浦竹軒作(3代 竹泉) 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】【初代 三浦竹泉(本名「渡邉政吉(駒次郎)」号「有声居」後「篩月庵」】 1853年嘉永06年〜1915年大正04年 13歳の時に3代高橋道八に弟子入り 1883年明治16年独立し、五条坂に窯を構える 【2代 竹泉】 1882年明治15年〜1920年大正09年 父の死後襲名。そのわずか5年後に早世 【3代 三浦竹泉[三浦竹軒](幼名 三郎)】陶芸家 初代竹泉の三男 1900年明治33年 京都生 1921年大正10年 はじめ、3代 三浦竹泉を襲名する 1931年昭和09年 家督を譲り、分家して別家して竹軒と改号 金襴手を得意とし、仁清・乾山風の華麗な茶道具・花器が中心 1942年昭和17年 政府認定技術保存資格者 京都伝統陶芸家協会員 1961年昭和36年 仏交歓陶芸展で入選する 1990年平成02年 歿、90才 【4代 竹泉】2代の長男 1911年明治44年〜1976年昭和51年 1931年昭和06年 4代襲名。主に煎抹茶器を製作 【当代 竹泉 (幼名 徹)】四代の長男 1934年昭和9年8月31日〜 1957年昭和32年 同志社大学文学部・美学芸術学専攻卒 父の元で修行の後、1972年昭和47年襲名 京焼の歴史研究でも第一人者の一人である

【茶器/茶道具 香合】 萩焼き 猿ぼぼ(申) 坂田泥華作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

41,800

【茶器/茶道具 香合】 萩焼き 猿ぼぼ(申) 坂田泥華作

サイズ約直径4.3×高5.4cm 作者坂田泥華作(13代深川本窯) 箱木箱 (野吉丸好日・49800) 【コンビニ受取対応商品】猿ぼぼ 飛騨高山など岐阜県飛騨地方で昔から作られる人形。 飛騨弁では、赤ちゃんのことを「ぼぼ」と言い、「さるぼぼ」は「猿の赤ん坊」の意。 近年では、土産として飛騨地方の観光地で多く見られる。 いろいろな説がありますが、 赤い布で作られた人形で、天然痘(てんねんとう)などが万延した時代に、病気災いから守ってくれるお守りとして作られた。 それが猿の赤ちゃんのように見えたことから猿の赤ちゃん(猿ぼぼ)といわれ、猿は「去る」と書き「災いが去る(猿)」「疫病が去る(猿)」ことからも、安全を祈願した。 また、農作業をしている時に、そばで寝ていた赤ちゃんが田んぼの溝に落ちそうになったところ、猿が助けた。 その感謝の意味を込めて家族が猿ぼぼ人形を作って持つようになったとい説もあります。 坂田家は萩焼の 始祖である李勺光(りしゃくこう)の流れをくむ家柄で、深川萩四家の一つ (深川萩四家 とは現在、坂田泥華窯の他、坂倉新兵衛窯、田原陶兵衛窯、新庄助右衛門窯の四窯元 がある) 【初代 李勺光】 【2代 山村新兵衛光政 生年不詳〜1658年明暦4年】 【3代 山村平四郎光俊 生年不詳〜1709年宝永6年】 【4代 山村弥兵衛光信 生年不詳〜1724年享保9年】 【5代 山村源次郎光長 生年不詳〜1760年宝暦10年】 【6代 坂倉藤左衛門 生年不詳〜1770年明和7年】 【7代 坂倉五郎左衛門 生年不詳〜1792年寛政4年】 【8代 坂田善兵衛 生年不詳〜1805年文化2年】 【9代 坂田甚吉 生年不詳〜1818年文化15年】 【10代 坂田要四郎 生年不詳〜1886年明治19年】 【11代 坂田鈍作 生年不詳...

【茶器/茶道具 建水】 高取焼き 14代 亀井味楽作(味楽窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

47,300

【茶器/茶道具 建水】 高取焼き 14代 亀井味楽作(味楽窯)

サイズ約直径16×高10cm 作者14代 亀井味楽作 箱木箱 (限定山野丸大・85800) 【コンビニ受取対応商品】建水 建水と蓋置は台子の皆具のひとつで唐銅が本来でした。(蓋置も同じ) 建水は茶碗をすすいだお湯や水を捨てる容器で「こぼし」ともいいます。 材質は 古くからある唐銅 砂張・モールなどのほか陶磁器のもの、木地の曲物などがあります。 袋状で上部が開いた形の「エフゴ」がもっとも多い。 その他、「棒の先」「槍の鞘」「箪瓢」「鉄盥」「差替」「大脇差」などとあわせて【七種建水】と呼ばれる。 【亀井味楽(かめいみらく)】 遠州七窯として400年以上の歴史を持つ「高取焼」の伝統を受け継ぎ、代々茶陶などを中心に作陶を続けています。 高取焼の特徴は七色の釉薬を特色とする「高取焼釉薬」で、土の配合や釉薬のかけ具合、登窯の作用によって様々な表情を生みだすことを想定した上で作られています。 13代 味楽は昭和19年4月に農商省より技術保存者として認定され、14代は昭和52年には福岡市無形文化財工芸技術保持者第一号に指定されました。 【初代 八山(和名 八蔵重貞】 黒田長政公に従って朝鮮の地より渡来せし名工、 八山(和名=八蔵重貞)が開祖であります 【2代 八蔵貞明】八山の次男 1665~1871年 小石原鼓窯系統 1665年寛文5年 八山の次男が高取家の2代目を継ぎ、小石原鼓窯に移り、この地で現在まで伝承されています 以後、廃窯そして復興窯を繰り返し、白旗山窯の時代になると、高取の作風は小堀遠州の指導により、茶入にみられる薄作りと、瀟洒な洗練されたものになり、茶人に愛された 【3代 八蔵 貞久 】 【4代 八九郎 】 【5代 市郎助貞勝 】 【6代 保次卓典 】 【7代 市郎 有貞 】 【8代 和平 周規 】 【9代 武平 未楽 ...

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 粟田焼き 鈴 安田浩人作(鍵屋安田)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

74,800

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 粟田焼き 鈴 安田浩人作(鍵屋安田)

サイズ約直径12×奥10.6×高7.7cm 作者安田浩人作(粟田焼窯元 鍵屋安田) 箱木箱 (R4/山棒り・93500) 【コンビニ受取対応商品】粟田焼とは 江戸時代初期、元和年間(1615~24)の頃が粟田焼の始まりです。 京の焼き物史の初期から存在し、「古清水」と呼ばれる作品軍の大きな位置を占めていた。それが粟田焼(粟田口焼)です。 粟田最初の陶工、三文字屋九右衛門は瀬戸からやってきた人で、初期の粟田は、瀬戸ぐすり、黒ぐすり、飴ぐすりの釉薬のかかったものがあったようです。 その他転用の作品として信楽写しの焼締陶器や、朝鮮系の物の写しが焼かれた記録もあります。 江戸時代中期に京焼では野々村仁清が粟田でロクロの修業をし、瀬戸で釉薬の勉強をして、帰京後、開窯したのですが、それまで釉薬だけ掛かったものか、鉄とお呉須で描いた「銹絵染付」の簡素な作品からカラフルな色絵が作られるようになります。 大きな特徴の一つとして、青蓮院御門跡の御用窯として栄えたことが挙げられます。 この頃粟田では楽家11代 保全が若き頃修行していますし、2代 高橋道八は五条に移る前は粟田に居りました。 歌人、大田垣蓮月は手ひねりの作品を窯元に持ち込むなど、20戸以上の大きな窯元があり、第二の京焼の黄金期を形成します。 公家や武家の御用焼き物師として栄えましたが、明治維新後は、薩摩焼の技法に京都ならではの垢抜けした意匠を織り込んだ粟田焼は「京薩摩」として、欧米で大変もてはやされ、当時のヨーロッパの美術界は沈滞期にありましたが、そこに大きな波紋を投げかけたのが、日本の開国だったのです。 万国博覧会には6代 錦光山宗兵衛をはじめ粟田からも多くの作品が出品され、数多くの受賞記録が残っています。 開国当時はもてはやされた粟田焼でしたが、旧熊依然としたデザインや装飾性の杉田飾り...

【茶器/茶道具 菓子器】 銘々皿 輪島塗り 鉄線蒔絵 半月形 天然木製 5枚セット

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

70,400

【茶器/茶道具 菓子器】 銘々皿 輪島塗り 鉄線蒔絵 半月形 天然木製 5枚セット

入数5枚セット サイズ約横13.5×縦12×高0.4cm 箱木箱 素材天然木製 輪島塗り 限定(R5/ス野礼中)(・88500) 【コンビニ受取対応商品】 参考資料:石川新情報書府より 【輪島塗とは】 伝統的工芸品に指定された際の通商産業省(当時)による輪島塗の要件は次のとおり(昭和50年5月10日通商産業省告示第172号) 【伝統的な技術または技法】 下地塗りは、次の技術または技法によること 1.木地に生漆を塗付した後「着せもの漆」を塗付した麻または寒冷紗を用いて「布着せ」をすること。 2.生漆に米のり及び「輪島地の粉」を混ぜ合わせたものを塗付しては研ぎをすることを繰り返すこと。 3.上塗りは、精製漆を用いて「花塗」または「ろいろ塗」をすること。 4.加飾をする場合は、沈金または蒔絵によること。 5.木地造りは、次のいずれかによること。 1.挽き物にあっては、ろくろ台及びろくろかんなを用いて形成すること。 2.板物または曲げ物にあっては、「こくそ漆」を用いて成形すること。 【伝統的に使用されてきた原材料】 1.漆は天然漆とすること。 2.木地は、ヒバ ケヤキ カツラ もしくはホオノキ、またはこれらと同等の材質を有する用材とすること 現在のような輪島塗の技術が確立したのは江戸時代寛文年間と伝えられている。この時期にはすでに海運の利を生かして販路を拡大し、また陸路での行商もおこなわれており、堅牢さが評判の輪島塗は日本各地で使われていた。※沈金の始まりも江戸時代享保期、蒔絵は江戸時代文政期にはいってからである。 【関係年表 [編集]】 元和2年 1616年 加賀藩は、能登に七木保護の制を布告。自由な伐採を禁じた。 寛永年間1624年—1643年 加賀藩は、漆の木の植林を奨励。 享保年間1716年—1735年...

【茶器/茶道具 煙草盆用道具(莨盆用道具)】 火入 九谷焼き 染付 桶側(桶川) 須田菁華作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

119,515

【茶器/茶道具 煙草盆用道具(莨盆用道具)】 火入 九谷焼き 染付 桶側(桶川) 須田菁華作

サイズ約直径9.4×高8.5cm 作者須田菁華作 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】火入(ひいれ)とは 煙草盆の中に組み込み、煙草につける火種を入れておく器のことです。 中に灰を入れ、熾した切炭を中央に埋めて、喫煙の際の火種とします。 切炭の埋め方は、火入の灰にあらかじめ炭火を入れて灰を温めてから、炭火を取り出して火箸で灰をならし、その中央に、客が煙草をつかうときに上部が燃えて灰とならないように、切炭を黒い部分を残して熾し、熾きた方を下に黒いほうを上にしてして、煙管で吸い付けやすいよう正面から見てやや斜めに頭が少し出るように埋め、灰押で灰を押さえ、火箸で筋を入れます。 切炭は、表千家と武者小路千家では右に、裏千家は左に傾けます。 灰形は放射状に筋を入れたものが多く用いられますが、流儀、火入により異なるものもあります。 香炉の小振りな物や向付を見立てで使用したのが始まりのようで、煙草盆と火入の組合せは、材質、形状、煙草盆との大きさ、煙草盆の縁の高さと火入の高さ、火入の釉色と煙草盆の塗色などが考慮されます。 銅器や鉄器はふつう用いられず、陶磁器が主に用いられますが、染付・呉須などの磁器には真塗や溜塗など、志野・織部・唐津などの施釉陶には一閑張など、備前・信楽など自然釉陶には木地・焼杉などを合わせます。 桶側(おけがわ)とは 古染付形物水指の一で、円筒状の胴を浅い輪花に絞り、括れに藍で竪筋(たてすじ)を入れ、口廻りに雷文繋ぎを描いたものをいいます。 胴に入れた竪筋が桶の側面を思わせるところからこの名があるといいます。 詩箋(しせん)ともいい、詩箋とは漢詩を書くのに用いる紙のことで、罫線の引かれた姿が似ているところからといいます。 【須田菁華】 初名は与三郎 加賀(石川県)出身 1862年文久2年生...

【茶器/茶道具 なつめ(お薄器)】 大棗 柳蒔絵 内銀地 西村宗利作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

103,950

【茶器/茶道具 なつめ(お薄器)】 大棗 柳蒔絵 内銀地 西村宗利作

サイズ約直径7.5×高7.5cm 箱木箱 作者西村宗利作 (限定大・138000) 【コンビニ受取対応商品】【西村宗利】蒔絵師 1961年昭和36年 京都に生まれる 1980年昭和55年 吉田華正に師事 1988年昭和63年 創作蒔絵展にて北国新聞社賞受賞 (作品 高棗 波千鳥蒔絵) 1990年平成02年 創作蒔絵展にて石川県伝統産業奨励賞受賞(作品 食篭 紫陽花蒔絵) 1991年平成03年 創作蒔絵展にて加賀市長松受賞 (作品 合子 葡萄蒔絵) 加賀市永久保存としてお買い上げとなる 創作蒔絵展にて山中町伝統産業振興協会会長賞受賞 (作品 高棗 蔦蒔絵)) 1992年平成04年 社団法人日本工芸会伝統工芸展石川支部展に入賞 (作品 干菓子盆 葡萄蒔絵) 1955年平成07年 創作蒔絵にて山中木製漆器協同組合理事長賞受賞 (作品 高棗 波遊び) 社団法人日本工芸会伝統工芸展石川支部展に入選 (作品 干菓子盆 波遊び) 兼六園茶会香華作品公募展入選 (作品 高棗 蔦蒔絵) 1997年平成09年 社団法人日本工芸会伝統工芸展石川支部展に入選 (作品 平棗 遊秋) 山中町永久保存としてお買い上げとなる 兼六園茶会工芸作品公募展入選 (作品 雪吹 花籠四季草花) 1998年平成10年 社団法人日本工芸会伝統工芸展石川支部展に入選 (作品 文箱香合 竹林蒔絵) 兼六園茶会工芸作品公募展入選 (作品 高棗 湖騒蒔絵) 棗(薄茶器) 植物の棗の実に形が似ていることからその名がついた 種類は、棗(大・中・小・一服)、雪吹(大・小)、尾張、白粉解、茶桶、面中次、寸切、金輪寺、茶器の十三種に裏千家七代如心斎の時代に規格整理されました。...

あす楽
【茶器/茶道具 菓子器】 干菓子器 振出し(振り出し・金平糖入れ) ガラス(硝子) 江戸切子 江戸紫 東太武朗工房

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

11,000

【茶器/茶道具 菓子器】 干菓子器 振出し(振り出し・金平糖入れ) ガラス(硝子) 江戸切子 江戸紫 東太武朗工房

サイズ約直径7.4×高9.4cm 約蓋含む高12cm 作者東太武朗作 箱化粧箱 (R3/295:切子2-312ス棒大・13750)(桜12-112ス棒大・13750) 【コンビニ受取対応商品】---------- 参考資料 ---------- ●振出とは…茶箱に仕組んで、金平糖や砂糖豆・霰・甘納豆など小粒の菓子を入れる小形の菓子器のことです。 中に入っている菓子を振り出して用いることからその名があります。 茶会の趣向で、惣菓子器代わりに用いるようなこともあります。また、寄付の汲出し盆に、香煎を入れて用意するのにも用いられます。 陶磁器が多く、青磁・祥瑞・染付・織部・唐津・備前など各種ありますが、とりわけ染付物が好まれています。 形は口細のラッキョウ形や瓢箪形などがあり、口の栓には菅の蓋が用いられます。 右手で振出を取り、左手に持たせ、菅蓋を取り懐紙の右上に置き、容器を両手で回しながら中の菓子を出します。 ---------- 【東太武朗】江戸硝子(伝統工芸士) 昭和22年 岐阜県福岡町に生まれる。 昭和63年 江戸切子に魅かれ、岩田工芸硝子退社後、江戸川区に太武朗工房設立 平成01年 ぎゃらりい小川にて夢柄子(ゆめがらす)展 麻布工芸美術館出品 平成02年 「伝統工芸トクラフト展」出品 平成04年 「手作りガラス展」名古屋 平成06年 「太武朗工房展」日本橋高島 ・・・・・ 参考資料 ・・・・・ 【平山紋治】 東京都伝統工芸士認定者です 1936年昭和11年 千葉県に生まれる 1954年昭和29年 田村硝子入社 1960年昭和35年 東京江東区にて工房設立 1967年昭和42年 東京カットグラス工業協同組合理事に就任 1985年昭和60年 「江戸切子」が東京都伝統工芸品に指定される 1992年平成04年...

あす楽
【中古】【茶器/茶道具 なつめ(お薄器)】 籠茶器 秋草蒔絵に鈴虫 青貝入り 鈴木表朔作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

90,750

【中古】【茶器/茶道具 なつめ(お薄器)】 籠茶器 秋草蒔絵に鈴虫 青貝入り 鈴木表朔作

サイズ約直径6.6×高7.9cm 作者鈴木表朔作 箱木箱 (限定R3/礼輪目大・188500) 【コンビニ受取対応商品】【鈴木表朔 (幼名 井上捨吉)】 1874年明治07年 滋賀県高島市安曇川町に生 1884年明治17年頃京都に出て、蒔絵師鈴木長真の養子となり鈴木表朔を名乗るが、後に髹漆(きゅうしつ)に転じ二代木村表斎に師事した) 1909年明治42年 表朔の塗り技術への評価は高かく伊勢神宮の神宝 1911年大正02年 御大礼に際して高御座、御帳台、万歳幡の塗を担当した。 1916年大正05年 内務省御用となった 1919年大正08年 京都で活発に活動し、神坂雪佳主宰の佳都美村に参画し、意欲的に漆器の創作にも携わった。 京都漆芸会創立顧問の一人 漆器同業組合代議員や京都美術工芸会会員活動を通じて、漆芸を広め技術を伝えることに努める 1943年昭和18年 逝去 【2代 鈴木表朔(本名 貞次。俳号貞路)】 1905年明治38年 京都生まれ 師 父・表朔の元で漆塗りの技法を学ぶ 1926年大正15年 21才の時に、聖徳太子奉賛展入選を果たしたのを皮切りに、創作活動を開始する。 1934年昭和09年 流型派工芸展に出品 その後、京展入賞、帝展、文展などに出品を続け、 1937年昭和12年 32の時、パリ万国博銀賞を受賞 1978年昭和53年 73才の時に、「現代の工芸作家展」出品、「漆と共に50年」記念個展を開催 1981年昭和56年 古希記念個展を京都高島屋で開催 1991年平成03年 逝去 【3代 鈴木表朔作(本名 雅也)】 1932年昭和07年 京都生まれ 京都日吉丘高校卒 東京芸術大学漆工科に入学~卒 同、東京芸術大学専攻科に1年在籍修了 1972年昭和47年 日本現代工芸賞を受賞 1973年昭和48年...

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 紅白 山崎吉左衛門作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

12,153

【茶器/茶道具 炭道具】 紙釜敷き 檀紙 紅白 山崎吉左衛門作

サイズ約縦13.8×横18×厚み3.1cm 作者山崎吉左衛門作 (宮内庁御用達・無形文化財・通産省伝統工芸士) 箱木箱 (R5/棒目棒大)(15510) 【コンビニ受取対応商品】釜敷(かましき)とは 亭主が客の前で炉や風炉に炭を組み入れる炭点前(すみでまえ)で用いる、火から釜を下ろしたときに、釜の下に敷くものです。 釜置(かまおき)ともいいます。 藤・籐・竹・竹皮・紙縒・糸組(紐)などを編んで作った「組釜敷」、奉書・檀紙・美濃紙など二十枚から四十八枚を一束として四つ折りにした「紙釜敷」、竹の節を輪切りにした「竹釜敷」、水屋用の桐の「板釜敷」などがあります。 武野紹鴎が唐臼のヘダテを見て、籐(とう)で編んだ物が始まりといいます。 籐を編んだ唐物、または唐物編みにした物が基本形ですが「紐組」や「円座」と呼ばれるちょうど「腰掛待合」に使用する円座を小さくした物のような物などもあります。 紙釜敷は、千利休が懐紙を用いたのが始まりで、真の位の釜敷とされ、席中には炭斗に入れず懐中して出ます。のちに奉書・檀紙などや箔押など好まれるようになります。 炭点前を略す場合は、これに香合を載せて床に荘っておく。 竹釜敷は、千宗旦が花入を切った残りの竹で作ったもので、大きな竹の節の部分を輪切りにしたものです。 板釜敷は、厚3分、5寸角板の四方を切り、中央に1寸の穴を空けた桐の板で、水屋用で、箱炭斗に組んで席中に持ち出します。

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