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【茶器/茶道具 抹茶茶碗 ひな祭り】 立雛 清閑寺窯 杉田祥平作

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

116,600

【茶器/茶道具 抹茶茶碗 ひな祭り】 立雛 清閑寺窯 杉田祥平作

サイズ約直径12.2×高8.1cm 作者清閑寺窯 杉田祥平作 箱木箱 (R4/ス棒中・169400) 【コンビニ受取対応商品】・・・・・・・ 【雛節句】とは 【雛節句】「桃の節句」は、本来「上巳(じょうし、じょいみ)」の節句といい、3月の最初の巳(み)の日を指していました。が、後の3月3日に決まりました。雛祭りは、日本において、女子の健やかな成長を祈る節句の年中行事。 ひな人形(男雛と女雛を中心とする人形)に桜や橘、桃の花などの飾り、雛アラレや,菱餅などを供え、白酒やチラシ寿司などの飲食を 楽しむ節句祭りです。 ・・・・・・・ 【清閑寺窯】 清閑寺窯は、旧伯爵・清閑寺家の許可を得て江戸後期に京窯が築窯される 【初代 菊次郎】 【2代 龍斎】 【3代 祥平】 1914年大正03年11月15日生京都生まれ 京都第二工業高校卒 師 父に師事し作陶 1950年昭和25年 京都国立陶磁器試験所を経て、家業を継承 1950年昭和25年 旧伯爵家より、清閑寺焼を認可される 京都伝統陶芸家協会15周年・20周年記念展出品 京都伝統陶芸家協会役員 1985年昭和60年 京都高島屋にて古稀記念展 【4代 杉田祥平】 1942年昭和17年 京都に生まれ 1960年昭和35年 京都芸術短期大学(現京都造形 芸術大学) 1962年昭和37年 京都市立工業試験場 2000年平成12年 4代を継承 清閑寺窯丸印を裏千家・十五世鵬雲斎御家元、及び覚入より拝領 京都伝統陶芸家協会会員 【杉田眞龍(すぎたまりゅう)氏】次代に息女 作陶を研鑽中 1973年昭和48年 京都生まれ 京都府立陶工訓練校、京都市工業試験所を経て3.4代に師事 「眞龍の号は、杉田家で祀る白龍と2代の龍斎から頂いた」

【茶器/茶道具 香合】 色絵 四君子 桃山窯

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

9,504

【茶器/茶道具 香合】 色絵 四君子 桃山窯

サイズ約5.4×5.4×高3.7cm 作者桃山窯(手塚大示:雅号/岳陵) 箱木箱 26日頃(有R5/A/495山山大・11880) 【コンビニ受取対応商品】【手塚大示 (雅号 岳陵)】(桃山窯) 長い歴史の上に培われた京焼の伝統技法を学び、大正の初め京都東山に窯を開いた初代玉堂が、伏見桃山の地に創窯したのは昭和28年であった。 翌年父の指導の許で作陶生活を始める。 中国陶磁の研究を手伝いながら、青磁・辰砂・彩磁等の技法による巾広い作風の陶法を学ぶ。 当代は先代の三男として生まれ、永年に亘り、窯技の研鑽を続け現在に至る。 1937年昭和12年 京都に生まれる 1953年昭和28年 府立陶工訓練校卒業 1954年昭和29年 作陶生活に入る 1964年昭和39年 光風会展・京展等入選 1966年昭和41年 日展入選 1967年昭和42年 父より桃山窯を継承 1972年昭和47年 大阪三越にて桃山窯展 1977年昭和52年 伝産法制定により伝統工芸士の認定を受く 1981年昭和56年 京焼・清水焼展においてグランプリ(通産大臣賞)を受く 1982年昭和57年 九州小倉井筒屋にて京燒五人展に出品 1983年昭和58年 京都大丸にて個展 1988年昭和63年 京焼・清水焼展において受賞 1992年平成04年 福岡玉屋にて個展 2000年平成12年 「京の名工」 京都府伝統産業優秀技術者賞を受く 他、各地にて個展

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 茂三写し(もさん) 丸子窯

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

22,440

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 茂三写し(もさん) 丸子窯

サイズ約直径13.4×高8.3cm 作者丸子窯 箱木箱 丸-13(茂三・野の目目大・27540) 【コンビニ受取対応商品】茂三写し(もさん)とは 高麗茶碗の一種で、朝鮮への注文によって制作された御本茶碗の一つです。 寛永16年(1639)朝鮮釜山の和館内に築かれた対馬藩宗家の御用窯「和館茶碗窯」に燔師(はんし)として赴いた中庭茂三が、朝鮮陶工を指導して注文品を焼いたと言われています。(茶碗役人の茂三が茶人好みの茶碗を焼かせたもので「茂三」「玄悦」等といった名称が対馬御本として残っています。) 高麗茶碗とは室町時代以降の朝鮮で作られた茶碗。 唐物茶碗の大部分をさし、大井戸・青井戸・小井戸・脇井戸・熊川(こもがえ)・堅手(かたて)・斗々屋(ととや)・伊羅保・粉引・御本三島等(雨もり手)をさす。 茶道具における中国製の「唐物」に対する朝鮮半島製品の総称 ・・・・・ 参考資料 ・・・・・ 【安田道雄が監修】:【丸子窯】 (※安田道雄が永年にわたり、高麗茶碗の研究成果を若手職人に指導・育成し出来上がった作品を監修したもの。) 【安田道雄】 ※昭和24年京都に生まれる ※昭和46年京都府立陶工高等技術専門校専攻科終了 ※昭和63年滋賀県大津市和爾き開窯 「京都の高麗茶碗」というポジションを自覚して、以後、全国各地で個展を開催する。

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 御本三島 駕洛窯 (清水日呂志)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

19,200

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 御本三島 駕洛窯 (清水日呂志)

サイズ約直径13.2×高7.4cm 作者駕洛窯 箱木箱(三島) (目輪四日市西・26400) 【コンビニ受取対応商品】【三島】 ●三島とは、高麗茶碗の1つです。 一、茶碗の文様が、昔伊豆(静岡県)三島から刊行していた三島歴に似ているところから、この名が付けられた 一、安土桃山時代に豊臣秀吉が、朝鮮に攻め込み、日本に連れてきた朝鮮陶工の作る茶碗の象嵌細工の模様が三島歴に似ているところから三島手・三島紋と名づけられた ・・・・ 【清水 楽山】初代 萬古焼に初めて高麗手茶陶を加え、茶道界の評価を得た清水楽山(初代)が祖父 【清水 日呂志(しみず ひろし)】3代 昭和16年1月25日生 昭和34年 師:祖父楽山につき修行 昭和36年 高取、丹波、萩にて修行 昭和45年 三重郡菰野町切畑登窯築窯 昭和46年 韓国利川・大邱にて茶陶器指導 昭和49年 釜山近郊金海郡に金海駕洛窯築窯 ※田山方南先生より駕洛窯と命名して戴く 昭和56年 三重郡菰野町尾高に尾高焼楽山窯築窯 平成04年 韓国全北茂朱郡に茂朱駕洛窯築窯 ※日本橋三越・名古屋(柏三屋、松坂屋、丸栄、名鉄)等、各地で個展多数 〇楽山窯 三重県四日市市本郷町13-2 〇尾高焼楽山窯 三重県三重郡菰野町大字杉谷字黒石原2296番地 〇茂朱駕洛窯 韓国全羅北道茂朱郡茂豊面池城里757

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 信楽焼き 片口 寺垣外窯 杉本貞光

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

118,800

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 信楽焼き 片口 寺垣外窯 杉本貞光

サイズ約縦13.4×奥12×高7.9cm 作者寺垣外窯(杉本貞光) 箱木箱 (R1/大・198000) 【コンビニ受取対応商品】【杉本貞光】 1935年昭和10年 東京生まれ 1968年昭和43年 信楽、山中に穴窯築窯、茶陶:信楽製作開始 1974年昭和49年 大徳寺:立花大亀老師よりご教授を受け今日に至る レリーフ製作・沖縄海洋博にレリーフ製作・茶陶、伊賀の研究製作を開始 1979年昭和54年 大徳寺:如意庵にて個展開催さらに、裏千家にて個展開催 長次郎風の黒茶碗、光悦風の赤楽茶碗の研究製作を開始 高麗物、井戸茶碗、粉引茶碗の研究を開始 茶陶、伊賀の製作発表 1988年昭和63年 香雪美術館にて信楽展出品 1991年平成03年 NYロックフェラーセンター・ギャラリーゼロにてアメリカ発個展 1992年平成04年 吉兆・(大阪)湯木美術館に作品が収蔵 1993年平成05年 ミュンヘン・ギャラリー フレッドハーンスタジオにてドイツ初個展 1994年平成06年 エール大学美術館に作品が収蔵 2011年平成23年 野村美術館にて展覧会 2013年平成25年 野村美術館(京都)にて展覧会 2014年平成26年 臨済宗(建仁寺派管長)小堀泰厳猊下より、戒名:玄覚貞光を頂く 多数の個展開催:製作発表して今日に至る

〇【茶器/茶道具 香合】 桜 吉村楽入作(楽入窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

7,040

〇【茶器/茶道具 香合】 桜 吉村楽入作(楽入窯)

サイズ約直径6×高2.7cm 作者3代 吉村楽入作 箱紙箱 (限定N289/5-107山申礼大・8835) 【コンビニ受取対応商品】お花見(桜を見て遊び楽しむこと) 【隅田川堤の吉原の花見とは】吉原では桜の季節になると、メーンストリートに桜の木々をわざわざ植樹して、盛大に花見をしたものだった。(浮世絵師:鳥居清長図) 万葉集には桜を詠んだ歌が43種謳われています。 (ブリタニカ大百科辞典より) 元来日本の花見は,農耕生活に結びついた「サクラ (穀霊の憑〈よ〉りつく神座の意。サクラに限らなかった) 」の花の花鎮 (しず) めに発したもので,人々の生活に根ざした宗教的行事でした。 【2代 吉村楽入】(京都楽窯会所属) 1929年昭和04年 京都市に生まれる 1948年昭和23年 京都府陶工訓練所終了 名人 初代 父の吉村甚四郎氏に師事、楽入を継承 1985年昭和60年4月同会会長に就任 【3代 吉村楽入(本名 重生)】 1959年昭和34年 京都おまれ 1982年昭和57年 同志社大学経済学部卒 1983年昭和58年 京都市工業試験場伝統産業後継者育成陶芸コース終了 1984年昭和59年 京都府陶工訓練校成形科卒 師祖父・父 楽入に師事 1989年平成01年より「楽入窯」創始・主宰 2000年平成12年 【重生】印を泉涌寺熊谷龍尚和尚より拝領 2001年平成13年 伝統工芸士認定 2004年平成16年 萬福堂 3代 吉村楽入を襲名

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 染付 桶側(桶川) 輪華口 御室窯

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

70,158

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 染付 桶側(桶川) 輪華口 御室窯

サイズ約直径16×蓋除く高17cm 作者御室窯 箱木箱 (N33/棚-89大・90530) 【コンビニ受取対応商品】桶側(おけがわ)とは 古染付形物水指の一で、円筒状の胴を浅い輪花に絞り、括れに藍で竪筋(たてすじ)を入れ、口廻りに雷文繋ぎを描いたものをいいます。 胴に入れた竪筋が桶の側面を思わせるところからこの名があるといいます。 詩箋(しせん)ともいい、詩箋とは漢詩を書くのに用いる紙のことで、罫線の引かれた姿が似ているところからといいます。 【田中朋彩(本名 田中美智子)】御室窯代表 1958年昭和33年 京都市生まれ 1978年昭和53年 京都芸術短期大学陶芸科卒業 同大学卒業展にて銅賞受賞 1979年昭和54年 京都府立陶工訓練校卒業 1980年昭和55年 東福窯中村能久先生に師事し、仁清/乾山写の絵付けを学ぶ 1985年昭和60年 京都伏見深草に独立開窯。以後、女性らしい感性で個展、グループ展を各地で開催 水指(水器)-釜に補給する水や茶碗・茶筌などをすすぐための水を貯えておく器物 炉・風炉の火の陽の対して水指の水を陰とします。 台子皆具の水指は本来唐物に始まり点前作法の変遷とともに皆具からはなれ銅の水指についで南蛮や国焼の備前・信楽・楽焼や京焼などの焼き物が用いられ、さらに木地釣瓶や曲などの新しい素材や形が造られた。

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 乾山写し 波千鳥 和田桐山工房(琴浦窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

35,497

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 乾山写し 波千鳥 和田桐山工房(琴浦窯)

サイズ約直径12.5×高8.4cm 作者和田桐山工房 箱木箱 (輪0目中・49800) 【コンビニ受取対応商品】兵庫県尼崎市にある『琴浦窯』と八ヶ岳南麓の山梨県大泉村にある『大泉窯』の2カ所で創っています。 「大泉窯」は兵庫県尼崎市琴浦窯の登録商標です。 【和田桐山(わだ とうざん)】陶芸家 1901年明治34年 開窯、和田桐山の名を代々継承する 始祖 和田九十郎正隆(まさたか) 1858年安政05年〜1912年明治45年 兵庫県庁に奉職中に淡路志築に陶芸学校の建築を試みたが実現せず、退職 1901年明治34年 兵庫県武庫郡中村に窯を築く 【初代 和田桐山 (本名 正兄)】 1887年明治20年〜1967年昭和42年 和田九十郎正隆の次男 明治39年 兵庫県武庫郡精道村の御庭焼を築窯に関わり、これが打出焼の創始となる 1910年明治43年 尼崎市東桜木町に楽焼窯を築き、琴浦窯桐山と号 1923年大正12年 五室の連房式登り窯を築窯し、翁草園の煎茶器、白磁、青磁、染付、金襴手などを焼成した 【2代 桐山】 1897年明治30年〜1977年昭和52年 和田九十郎正隆の三男 神戸御影の名和家に養子入籍していたが、初代没後 2代桐山を継承 【3代 桐山(本名 春雄)】 1917年大正06年〜1994平成06年 初代の長女弘子と養子縁組 日本画を牛尾桃里に学び初代の下で作陶、2代没後 3代桐山を名乗る 【4代 桐山(本名 正明)】 1947年昭和22年〜 3代 桐山の長男 日本画を牛尾桃里に学び、2代3代の下で作陶に従事 日本陶芸展、日本伝統工芸展に入選 1990年平成02年 日本伝統工芸展正会員 1992年平成04年 4代 桐山襲名 色絵や緋色を活かした焼締陶を得意とする 【4代 和田桐山(本名 正明)】...

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 唐津焼き 彫三島 中里重利作(三玄窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

198,000

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 唐津焼き 彫三島 中里重利作(三玄窯)

サイズ約直径14.5×高5.5cm 作者中里重利作(三玄窯) 箱木箱 彫三島(限定R4/丸棒大・330000) 【コンビニ受取対応商品】【中里重利】三玄窯 1930年昭和05年 中里重利(先代中里無庵の三男)に生 1952年昭和27年 日展初入選 1956年昭和31年 朝日新聞社主催第5回現代日本陶芸展にて松阪屋賞受賞 第5回現代日本陶芸展より第11回現代日本陶芸展まで7回入賞 1964年昭和39年 オリンピック協賛第7回日展に「壺」入選、外務省お買上げとなり、在外公館に陳列 1965年昭和40年 第8回日展にて「三玄」壺特選北斗賞受賞 1965年昭和41年 第9回日展無鑑査となり「灰釉壺」出品、外務省お買上げとなり、在外公館に陳列 1967年昭和42年 第10回日展より、委嘱出品となり、花器を出品 1968年昭和43年 第7回日本現代工芸美術展に「炎」を出品 1969年昭和44年 第8回日本現代工芸美術展無鑑査となる・現代工芸美術家協会会員 1971年昭和46年 第10回日本現代工芸美術展審査員 1973年昭和48年 古唐津技法研究のため唐津市神田山口に築窯 1975年昭和50年 第14回日本現代工芸美術展にて会員賞並びに文部大臣賞受賞 1976年昭和51年 日展審査員となる 1982年昭和57年 日展審査員となる 1983年昭和60年 佐賀県芸術文化功労賞受賞 1984年昭和61年 日展審査員となる

【茶器/茶道具 建水】 高取焼き 14代 亀井味楽作(味楽窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

47,300

【茶器/茶道具 建水】 高取焼き 14代 亀井味楽作(味楽窯)

サイズ約直径16×高10cm 作者14代 亀井味楽作 箱木箱 (限定山野丸大・85800) 【コンビニ受取対応商品】建水 建水と蓋置は台子の皆具のひとつで唐銅が本来でした。(蓋置も同じ) 建水は茶碗をすすいだお湯や水を捨てる容器で「こぼし」ともいいます。 材質は 古くからある唐銅 砂張・モールなどのほか陶磁器のもの、木地の曲物などがあります。 袋状で上部が開いた形の「エフゴ」がもっとも多い。 その他、「棒の先」「槍の鞘」「箪瓢」「鉄盥」「差替」「大脇差」などとあわせて【七種建水】と呼ばれる。 【亀井味楽(かめいみらく)】 遠州七窯として400年以上の歴史を持つ「高取焼」の伝統を受け継ぎ、代々茶陶などを中心に作陶を続けています。 高取焼の特徴は七色の釉薬を特色とする「高取焼釉薬」で、土の配合や釉薬のかけ具合、登窯の作用によって様々な表情を生みだすことを想定した上で作られています。 13代 味楽は昭和19年4月に農商省より技術保存者として認定され、14代は昭和52年には福岡市無形文化財工芸技術保持者第一号に指定されました。 【初代 八山(和名 八蔵重貞】 黒田長政公に従って朝鮮の地より渡来せし名工、 八山(和名=八蔵重貞)が開祖であります 【2代 八蔵貞明】八山の次男 1665~1871年 小石原鼓窯系統 1665年寛文5年 八山の次男が高取家の2代目を継ぎ、小石原鼓窯に移り、この地で現在まで伝承されています 以後、廃窯そして復興窯を繰り返し、白旗山窯の時代になると、高取の作風は小堀遠州の指導により、茶入にみられる薄作りと、瀟洒な洗練されたものになり、茶人に愛された 【3代 八蔵 貞久 】 【4代 八九郎 】 【5代 市郎助貞勝 】 【6代 保次卓典 】 【7代 市郎 有貞 】 【8代 和平 周規 】 【9代 武平 未楽 ...

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 飴楽茶碗 伊東桂楽作(桂窯) 木箱

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

21,560

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 飴楽茶碗 伊東桂楽作(桂窯) 木箱

サイズ約直径12×高8.1cm 作者伊東桂楽作(桂窯) 上級品の印入り 箱木箱 注意楽焼の釉薬は酸に弱いことがあります。 楽焼の粘土は粗い目の素地を使用しています。 (野の柴・26460) 【コンビニ受取対応商品】【伊東桂楽】桂窯 京都 洛西 1942年昭和17年 京都に生まれる 1957年昭和32年 桂窯に入り、初代檜垣崇楽に師事す 1961年昭和36年 京都府立陶工職業訓練校卒 1964年昭和39年 京都桂窯にて修行 初代 崇白、崇楽に師事し、桂窯で茶の湯のやきもの一筋に三十余年研鑽中。 わび、さびにかなう作品をと念じ、研鑚しております。 楽家の初代長次郎が千利休の創意を受けて造った茶碗で黒楽の釉・けずりで形を整えた!! 熱を伝えにくい土の美・お湯が冷めにくい性質と色彩的にも緑の写り具合が大変よく、まさにお茶のために作られた茶碗。 五山の口造りで幽玄の世界を表現 しています。 利休の命により、初代長次郎が作った理想の茶碗であり、二代目常慶が豊臣秀吉より楽の字の印を賜わる。楽家の脇窯の一つに金沢の大樋焼(飴楽)があります。現在多くの陶芸家による写し物の茶碗がある。 成形のぐあいを作行きといい、まず手にとって眺めて全体を見る、感じることが大切。 作者印のある高台は見どころの要です。土味は土の色合い。硬軟を知り陶工の手腕をあらためます。 井戸茶碗をはじめ高麗茶碗や唐津に多い竹節高台や三ヶ月高台や割高台がある。

【茶器/茶道具 炭道具】 大炉用品 雪輪瓦 飴楽 佐々木松楽窯

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

19,360

【茶器/茶道具 炭道具】 大炉用品 雪輪瓦 飴楽 佐々木松楽窯

作者佐々木松楽窯 箱化粧箱 (仕大・24200) 【コンビニ受取対応商品】大炉(だいろ)とは 茶室に切る炉のひとつで、正式な寸法の一尺四寸四方より大きい炉をいいます。 大炉は、「おおろ」ともいいます。 炉は、禅院で台所に付属して暖房を兼ねた烹炊用の大囲炉裏からできたともいわれ、草庵茶室の原点とされる慈照寺東求堂の同仁斎は「御いろりの間」と呼ばれ四畳半の中央に三尺四方の囲炉裏があったといいます。 炉は、利休の頃までは大きさがまちまちで、古式の炉は一尺五寸七歩半四方とも一尺六寸四方とも一尺八寸六分ともいわれ、会記にも一尺六寸、一尺七寸五分、一尺九寸、二尺などの大炉が見えますが、それが利休の頃より一尺四寸四方となります。 千家では元伯宗旦が畳六尺三寸を七分しこれに二倍しての曲尺割で一尺八寸四方と定めたともいわれます。 裏千家では12世玄々斎が嘉永二年(1849)年知恩院門跡尊超法親王(華頂宮)を迎えて献茶の折に咄々斎の暖のために隣の六畳間に切られ、薄茶もここで行われたといいます。 「大炉は一尺八寸四方四畳半左切が本法なり。 但し、六畳の席よろし」として、六畳間に一尺八寸四方で逆勝手に切るのが約束で、厳寒の二月に限り開かれます。 北国の囲炉裏から好まれたといい、炉縁は北山杉木地丸太、炉壇は聚楽土に墨を混ぜた鼠土で灰色に仕上げます。 炉に向かって右手前寄りに五徳を据え、反対側の左向隅に玄々斎好みの楽焼の雪輪瓦(ゆきわがわら)を立てて灰仕切りをしますが、直径八寸ほどの古瓦を用いることもあります。 本歌の雪輪瓦は慶入造で、飴色で渦の彫りが施され色紙形の金箔押しがあります。 仕切瓦の向こうに、湿灰の盛灰をし灰匙を立てておき、初炭で湿灰をすくって炉中にまき、中立の間に後炭の炭を雪輪瓦の向うに荘ります。 点前も...

【茶器/茶道具 皆具】 紫交趾焼き 地紙流水 扇面流し 中村翠嵐窯

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

223,025

【茶器/茶道具 皆具】 紫交趾焼き 地紙流水 扇面流し 中村翠嵐窯

サイズ水指:約直径(胴)16・8×高17.2cm 約口径14.8cm 杓立:約口径6×胴:直径10×高19cm 建水:約直径14×高7.6cm 蓋置:約直径5.5×高5.3cm 作者中村翠嵐窯 箱木箱 備考使用感のある状態の商品です。 (野棒丸り)(・449800)皆具(かいぐ)とは 装束・武具・馬具などの具一式が揃っている状態を指します。 また、茶道での皆具といえば、「水指」「杓立」「建水」「蓋置」の4点が揃ったもので、台子や長板に飾る為に用いられます。 臨済宗の僧である南浦紹明(なんぽしょうみょう)が宋から戻って来た際に伝えられ、日本では千利休が持っていた「唐銅皆具」が有名です。 その頃は銅で作られているものが主流でした。 今のような「陶器皆具」が登場したのは江戸末期幕末の頃ですが、その当時はまだ馴染みもなく、あまり人々に受け入れられませんでした。 広く出回り始めたのは明治以降になってからのことで、各流儀の家元の「好み物」が作られるようになった際に、裏千家 11世玄々斎が広めた「立礼式(りゅうれいしき)」では「陶器皆具」を原則としていた為、近世の茶の湯には欠かせない物となりました。 「立礼式」とは、玄々斎が茶の湯の近代化を図るために確立した新たな茶の湯文化の一つです。 それは今までの茶の湯とは大きく異なり、机と椅子を用いて茶を点てるもので、椅子点前と言われています。 明治4年に京都で開催された第1回京都博覧会の際に、玄々斎が外国人客が腰を掛けて茶を飲むことができるよう考えられたのが始まりとされています。 水指・建水・蓋置別々に使用することもできます。 【2代 中村翠嵐】 1942年昭和17年 京都生まれ 1961年昭和36年 京都市立日吉ケ丘高校美術課程陶芸家卒業 陶磁器上絵付業を営む家に生まれ、父初代翠嵐に師事...

【茶器/茶道具 蓋置】 五徳 唐松紋 山川敦司作 (泉涌寺窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

11,352

【茶器/茶道具 蓋置】 五徳 唐松紋 山川敦司作 (泉涌寺窯)

サイズ約直径5.6×高4.6cm 作者山川敦司作(泉涌寺窯) 備考釣り釜の時期:五徳を使用しない時期(3月彼岸~4月) 箱木箱 (R4/丸目大・14200) 【コンビニ受取対応商品】五徳蓋置(ごとく ふたおき)とは 輪に三本の柱が立ち、その先端が内側に曲がり爪状になっている、炉や風炉中に据えて釜を載せる五徳をかたどった蓋置 火卓とも書き、隠家、隠架、陰架(いんか、かくれが)ともいいます。 火舎蓋置に次ぐ格の蓋置として、台子、袋棚にも用いられますが、透木釜、釣釜を使う炉の場合や、切合の風炉の場合など、五徳を使用しない場合に用います三本の爪のうちひとつだけ大きな爪がある場合は、それを主爪といいます。 【初代 石松】 石川県能美群下八里村の九谷焼窯元 【2代 巌】 京都で茶道具を作る。 【3代 巌】 京都市立伏見工業高等学校(窯業科)卒業後 師 清水六兵衛氏に師事 【山川敦司】(泉涌寺窯/巌窯)3代目巌の長男 1962年昭和37年 京都東山区泉涌寺生 1982年昭和57年 京都府立陶工訓練所に入学 1983年昭和58年 京都市立工業試験所に入所・専科卒業 1985年昭和60年 卒業後も同所の北村勝郎先生につき陶磁器成形技術を学ぶ 2008年平成20年 伝統工芸士に認定

【茶器/茶道具 皆具】 金襴手赤地 加藤広明作(加藤利昇窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

88,000

【茶器/茶道具 皆具】 金襴手赤地 加藤広明作(加藤利昇窯)

サイズ水指:約直径17.2×高17.8cm 杓立:約口径5.2×直径8.8×高16.7cm 建水:約直径14.4×高8.2cm 蓋置:約直径5.6×高5.8cm 作者加藤広明作(加藤利昇窯) 箱木箱 131300(限定山棒礼~R5礼山広明中・110000)皆具(かいぐ)とは 装束・武具・馬具などの具一式が揃っている状態を指します。 また、茶道での皆具といえば、「水指」「杓立」「建水」「蓋置」の4点が揃ったもので、台子や長板に飾る為に用いられます。 臨済宗の僧である南浦紹明(なんぽしょうみょう)が宋から戻って来た際に伝えられ、日本では千利休が持っていた「唐銅皆具」が有名です。 その頃は銅で作られているものが主流でした。 今のような「陶器皆具」が登場したのは江戸末期幕末の頃ですが、その当時はまだ馴染みもなく、あまり人々に受け入れられませんでした。 広く出回り始めたのは明治以降になってからのことで、各流儀の家元の「好み物」が作られるようになった際に、裏千家 11世玄々斎が広めた「立礼式(りゅうれいしき)」では「陶器皆具」を原則としていた為、近世の茶の湯には欠かせない物となりました。 「立礼式」とは、玄々斎が茶の湯の近代化を図るために確立した新たな茶の湯文化の一つです。 それは今までの茶の湯とは大きく異なり、机と椅子を用いて茶を点てるもので、椅子点前と言われています。 明治4年に京都で開催された第1回京都博覧会の際に、玄々斎が外国人客が腰を掛けて茶を飲むことができるよう考えられたのが始まりとされています。 水指・建水・蓋置別々に使用することもできます。 【加藤広明】 1964年昭和39年 生まれ 叔父の3代目加藤利昇に師事 1985年昭和60年 京都府立陶工訓練校専門科修了 師 3代目叔父の利昇に師事し研鑽中

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 伊羅保(イラホ) 銘「清閑」 寒川栖豊作(葵窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

470,800

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 伊羅保(イラホ) 銘「清閑」 寒川栖豊作(葵窯)

サイズ約直径14.3×高7.9cm 作者寒川栖豊作(紀州葵窯) 箱木箱 (輪目居・462240) 【コンビニ受取対応商品】2代 寒川栖豊 紀州葵窯銘「清閑」表千家:久田書付 【初代 寒川栖豊】 明治32年 大阪で出生 (まもなく京都に移る。) 大正08年 前帝展審査員、澤田 宗山氏に師事 昭和02年 師の推挙により、愛知県窯業研究所長に就任 昭和07年 和歌山県伊都郡高野山小田原に窯を築く 昭和12年 旧紀州藩主 徳川頼貞候より「紀州焼 葵窯」の窯名を賜わる 昭和31年 那智黒釉を完成 昭和37年 天皇、皇后両陛下に抹茶茶碗を献上 昭和42年 新転地、白浜町堅田に登窯を築く 昭和45年 文化庁より文化財功労者として表彰される 昭和47年 日本橋三越本店にて個展 和歌山県文化奨励賞受賞 白浜町無形文化財第1号に指定 昭和48年 東京、松山、大阪各三越店にて個展 昭和50年 享年77歳、瑞宝双光章受勲 【2代 寒川栖豊 本名:司朗】 (19才より父の初代栖豊のもとで指示・修業する) 昭和21年 和歌山県高野口町で生まれる 昭和40年 初代栖豊(父)に師事 昭和51年 2代目栖豊を襲名 平成07年 白浜町堅田から同町才野に登窯を移築す 平成08年 新転地にて初窯を焚く 平成23年 和歌山県文化振興知事表彰 平成24年 白浜町文化功労町長表彰 現在、和歌山県美術展覧会審査員 和歌山市美術展覧会審査員 田辺市美術展覧会審査員

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 乾山写し 箆目 寒牡丹 手塚大示作(桃山窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

44,715

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 乾山写し 箆目 寒牡丹 手塚大示作(桃山窯)

サイズ約直径12.2×高8.5cm 作者手塚大示作(桃山窯) 箱木箱 限定(R6/春25R6/示-107-・・大・55900) 【コンビニ受取対応商品】【手塚大示 (雅号 岳陵)】(桃山窯) 長い歴史の上に培われた京焼の伝統技法を学び、大正の初め京都東山に窯を開いた初代玉堂が、伏見桃山の地に創窯したのは昭和28年であった。 翌年父の指導の許で作陶生活を始める。 中国陶磁の研究を手伝いながら、青磁・辰砂・彩磁等の技法による巾広い作風の陶法を学ぶ。 当代は先代の三男として生まれ、永年に亘り、窯技の研鑽を続け現在に至る。 1937年昭和12年 京都に生まれる 1953年昭和28年 府立陶工訓練校卒業 1954年昭和29年 作陶生活に入る 1964年昭和39年 光風会展・京展等入選 1966年昭和41年 日展入選 1967年昭和42年 父より桃山窯を継承 1972年昭和47年 大阪三越にて桃山窯展 1977年昭和52年 伝産法制定により伝統工芸士の認定を受く 1981年昭和56年 京焼・清水焼展においてグランプリ(通産大臣賞)を受く 1982年昭和57年 九州小倉井筒屋にて京燒五人展に出品 1983年昭和58年 京都大丸にて個展 1988年昭和63年 京焼・清水焼展において受賞 1992年平成04年 福岡玉屋にて個展 2000年平成12年 「京の名工」 京都府伝統産業優秀技術者賞を受く 他、各地にて個展

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 萩焼き 箆目楽形 坂高麗左衛門作(松本窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

396,000

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 萩焼き 箆目楽形 坂高麗左衛門作(松本窯)

サイズ約縦12.2×高10.1cm 作者12代 坂 高麗左衛門(松本窯) 箱木箱 (ス山中・600000) 【コンビニ受取対応商品】萩焼とは 文禄・慶長の役後の江戸時代初期、毛利藩の保護のもとで李敬(坂高麗左衛門)と李勺光(坂倉新兵衛)の李朝の陶工達により現在の山口県萩市松本に開窯され、後に長門市深川等に伝えられる。 萩茶碗は、日本人の侘び茶にかない、萩の七バケといわれ、茶人に愛された。 主原料である山口県内防府市大道産の白色粘土との相性が良かった。 現在も松本萩・深川萩と伝承されている。 【松本萩焼(御用窯)】 坂家は松本御用窯(松本萩)の名門です。 1625年寛永2年に李敬は2代 藩主・毛利秀就より「高麗左衛門」の名前を賜りましたが、通称として「助八」を名乗りました。 初代以後も2代・5代・7代は「助八」、3代・4代・6代・8代は「新兵衛」と、助八か新兵衛のいずれかを名乗りながら明治に至ります。 2代~8代までは「高麗左衛門」を使用せず、明治に入って9代以降が使用しています。 【初代 坂高麗左衛門(李敬)】 1568年永禄11~1643年寛永20 【2代 坂助八(忠李)】 1617年元和3~1668年寛文08 【3代 坂新兵衛(忠順)】 1648年慶安元~1729年享保14 【4代 坂新兵衛(忠方)】 1683年天和3~1748年寛延元 【5代 坂助八(忠達)】 1722年享保07~1769年明和06 【6代 坂新兵衛(忠清)】 1739年元文04~1803年享和03 【7代 坂助八(忠之)】 1774年安永03~1824年文政07 【8代 坂新兵衛(忠陶)】 通称を新兵衛、号を翫土斎・松翁 1799年寛政11~1877年明治10 文化・文政年間 1804年~1830年には磁器窯が多く興りますが...

【茶器/茶道具 香合】 織部焼き 耳木菟(みみずく) 加藤光右衛門作 (山十窯)

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

100,672

【茶器/茶道具 香合】 織部焼き 耳木菟(みみずく) 加藤光右衛門作 (山十窯)

サイズ約縦6.2×横4.1×高6.1cm 作者加藤光右衛門作(山十窯) 箱木箱 【コンビニ受取対応商品】【加藤光右衛門(本名 光男)】 1937年昭和12年6月12日生 岐阜県の無形文化財だった十右衛門の二男 父の十右衛門の笠原八坂窯を継承する。 名古屋茶道工芸金鱗会会員 -------------------------------------------------- 【加藤十右衛門】美濃焼作家 1891年明治24年〜1974年昭和49年 1940年昭和15年に大萱八坂窯開 1958年昭和33年 岐阜県の無形文化財になる -------------------------------------------------- 【加藤日出(本名 ひで)】 美濃焼作家 加藤光右衛門氏の次男。 1967年昭和42年 生まれ。 名古屋茶道工芸金鱗会会員 ●天正年間頃、主に美濃系窯で焼かれた総称 【陶芸用語大辞典】より ・安土・桃山期から江戸初期にかけ、千利休の高弟の茶人で大名でもあった古田織部正重然の好みを導入して岐阜県東部の美濃窯で焼かれた個性と創造性豊かなやきもの。 ・織部の器物の形状は一般的に歪んで多角形のものも多く当時としては異様、異端でありエクセントリックかつ奇抜であった。自由奔放な不整形が基本なので、成形には型が多く用いられ、色彩は黒、濃緑、赤などが好んで多用され、色釉も染分けなどのテクニックを使った。 ・今日、織部といわれるものは茶道具が主で茶碗、茶入、水差し、香合、鉢、皿、向付、徳利、盃などの種類がある。総織部、織部黒、青織部、赤織部、絵織部、鳴海織部、志野織部などに分類される。

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 老松 浅見五郎助作 6代(祥瑞窯) 鵬雲斎書付

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

261,800

【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 老松 浅見五郎助作 6代(祥瑞窯) 鵬雲斎書付

サイズ約直径12.3×高7.8cm 作者6代 浅見五郎助作(祥瑞窯) 鵬雲斎書付 箱木箱 (ス目十・475200) 【コンビニ受取対応商品】6代 【初代 浅見五郎助(あさみごろうすけ)】 1829年文政12年〜1895年明治28年 本名は辰親のち五郎助 摂津国(大阪府高槻市)出身。 元々は摂津高槻藩士樋口宗親の次男として生まれた。 後に京都の浅見家に養子として出され、その後、2代六兵衛の作陶指導を受けて、陶工となる。 1852年嘉永05年 京都五条坂に開窯。磁器、陶器共に制作し抹茶茶碗、菓子鉢、酒器等の器物や茶陶を能くした。 特に祥瑞の写しに優れ、自ら「祥瑞五郎助」を名乗る。 以降現在まで、京焼を代表する名家として代々五郎助の名と陶技を継承している。 1943年昭和18年 通産省より技術保存作家に認定 【5代 浅見五郎助】 1923年大正12年生まれ 国立京都工芸繊維大学窯業科を卒業後、京都陶磁器試験所及び4代に師事 1943年昭和18年 通産省より技術保存作家に認定 1967年昭和42年 5代 五郎助を襲名 【6代 浅見五郎助】 祥瑞窯 1951年昭和26年 5代の長男に生まれ。 京都市工業試験場で陶磁器の研修を終了後 1972年昭和47年 先代に師事。 京都市工業試験場にて、窯業研修を修了し以後、研鑽を積む 渡米し、サンタクルーズにおいて、陶芸を指導する 1982年昭和57年以後 京展や展覧会で入賞多数 1987年昭和63年 6代目を襲名する。 現在 京都伝統陶芸作家協会の会員

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 中置 信楽焼き 落雁 虫明写し 高橋楽斎窯

いまや茶の湯日本茶・今屋静香園

41,100

【茶器/茶道具 水指(水差し)】 中置 信楽焼き 落雁 虫明写し 高橋楽斎窯

サイズ約直径13.5×高22cm 作者高橋楽斎窯 箱木箱 (大・50436) 【コンビニ受取対応商品】高橋楽斎窯 【初代 楽斎(本名 高橋藤左衛門)】 天保年間 信楽神山にて茶陶の名人と謳われる 【3代 楽斎(本名 光之助)】 1898年明治31〜1975年昭和51年 没 信楽焼技術保存者 県無形文化財 1915年大正04 京都陶磁器研修所に学 1916年大正05 信楽で作陶に従事す 1917年大正06 3代高橋楽斎を襲名 1941年昭和16 商工省より信楽焼技術保存者の資格認定を受ける 1960年昭和35 ブリュッセル万国博覧会でグランプリを受賞し、デンマーク日本陶芸十傑展に選ばれて出品しました 1964年昭和39 滋賀県指定無形文化財に認定 1971年昭和46 労働大臣より最優秀技能者の表彰を受ける 【4代 高橋楽斎(本名 光夫)】信楽焼き 現住所 滋賀県甲賀郡信楽町長野二本丸 1925年大正14年11月8日生 父 3代 楽斎に師事 1976年昭和51年 4代 楽斎襲名 1976年昭和51年 伝統工芸士に指定される。 1991年平成03年 日本文化振興会より国際芸術文化賞を受賞す 南カリフォルニア大学にて陶芸指導 現住所 滋賀県甲賀郡信楽町長野二本丸 【5代 高橋楽斎(本名 光三)】 1954年昭和29年 信楽に生 1974年昭和49年 京都府立陶工専修訓練校と滋賀県立窯業試験場経て、父四代楽斎に師事し作陶を学ぶ 1975年昭和50年 荒川豊蔵先生のもとに互窯会結成 大阪高島屋にて互窯会展出展 1984年昭和59年 大阪高島屋にて個展を以後10回 各地で個展多数行う 2010年平成22年9月 日本橋三越本・にて五代楽斎を襲名 同時に数江瓢鮎子先生、加藤淡斎先生に指導を受ける ...

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